日本において宗教法人が優遇される理由

古くは戦国時代にまで遡る

以前にブログで紹介した内容の続きです

洗脳の話の続報、補足」のコーナーでこういった話を綴っています。

アメリカやイギリス、フランスなどには存在するんですけどね・・・。日本にはある特殊な事情があって野放しに近い状態です。

日本では宗教法人が異様に優遇されています。これは諸外国では見受けられない傾向で、なぜだか疑問に思う方も多いでしょう。これにはある事情があります。

戦国大名として有名な方に「織田信長」という人がいます。

ここでクドクドと説明しなくても、日本人であれば多少は馴染みがあると思います。安土桃山時代に尾張の小国の御曹司として生まれた人で、小国の大名から苦闘の果てに全国統一の一歩手前までたどり着きます。

若い頃から暗殺の危機や家臣の反乱、実母による排斥などを受けたため奇行も多かったようですが先見の明があり、通常ではなし得なかったような新しい改革や特殊な(楽市楽座)、商工振興策を行って徐々に大国と張り合うようになるのです。

いわゆる血筋としては名門です。ただし尾張の国の守護代に過ぎなかった織田家を後に天下一にまで押し上げたのは彼の手腕によるものでしょう。

統一を目前にして明智光秀の謀反によって滅びるわけですが、彼が天下統一の狭間で行った政策や戦闘手法は目覚ましいものがありました。

宗教、という名の権力、軍事力との衝突

織田信長が天下統一を目指す最中でどうしても避けては通れないものが出てきました。

一向宗(いっこうしゅう)との確執です。

一向宗とは鎌倉時代に一向俊聖(暦仁2年(1239年)? – 弘安10年(1287年)が開祖として広まった宗教ですが、徐々に民衆に受け入れられて戦国時代には凄まじい数の信徒が存在しました。後の浄土真宗(本願寺)などもこれに起因します。

宗派や宗教観が複雑に絡み合っていますので、一向宗といっても一言で表現はできません。一口にキリスト教といっても様々な宗派が存在するように簡単ではないのです。ですが、ここではあまり関係ありませんので、簡素化するために割愛します。

戦国大名、特に北陸を中心とした地域では「一向宗」の一揆に苦労したんですよ。加賀(今の富山県周辺)では富樫政親という守護大名が一揆衆に攻め滅ぼされ、天正8年(1580年)に信長に破れるまでの90年間を「一向宗」(農民が主体)支配しました。

その一向一揆の束ね元、親玉というか宗教的な象徴として君臨していたの浄土真宗本願寺だったことになります。

当時の坊さんは今とはだいぶ、違いますよ(笑)。まあ昔のキリスト教もそうなのですが、当時の宗教はいわゆる権力とか支配者、軍事力と直結している例が多いのです。

戦国時代以後の日本がキリスト教を排除するようになったのは、各地でのキリスト教のやり方とか戦争の経緯を研究して「危ない」と思ったからでしょう。

口先では懸命に「神の愛」を説く彼ら宣教師や牧師ですが、実際には国王からの命令で植民地探しに来ていた連中もいます。戦争の先兵として送り込まれ、その国に信者の数が一定数よりも増えると自国の軍隊を送り込んで一機に制圧、植民地化するような蛮行を各地で重ねています。

貿易船などから徐々にそういった情報がもたらされるようになり、日本の使節団が海外に出た時に現実を見聞きします。日本人のキリスト教徒がアジアやヨーロッパで「奴隷」として売り買いされていることを知るに至って、江戸幕府もキリスト教を禁止してしまいます。

江戸幕府は「完全に」鎖国していたわけではなくてですね。危険なものを排除しながら、決められた地域で貿易は行えというのが基本的なスタンスです。

安土桃山時代には売僧(まいす、と読みます)とも言いますが、美食に走り女色(本来は戒律違反)を行って私利私欲に溺れ、僧坊でお稚児さんや愛人を囲って好き放題やっていた坊主もいて、徹底した合理主義者だった織田信長は一向宗を嫌悪するようになります。

一向宗を、というよりも一向宗や宗教の名を借りて天下を思うままに操ろうとしたり、将軍や敵将に手を貸して天下統一の妨げになる「宗教幹部」を憎む方向に近づいていったんでしょうね。

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