愛想尽かし、相手とはうまく別れましょう2

愛想尽かしの言葉、態度は?

昔、武家社会や吉原(色街、傾城街)で使われた表現

世良公則(&ツイスト)の昔の歌に、こんな詩があります。

「愛想尽かしの言葉がダメなアンタに似合いと」いつもお前は笑うのさ♪

愛想尽かし(あいそづかし)と読みます。

古い表現なので若い世代にはわからないと思いますが、この「愛想尽かし」というのがよく考えられたシステムというか、先人の素晴らしい知恵なので紹介しておきたいと思います。

吉原という地名がついたのは葦が生え茂る湿地が語源とも、この地の管理を任された「オヤジ」が東海道の宿場、吉原宿の出身だからとも言われていますが諸説あってはっきりとはしません。

庄司甚右衛門(しょうじ・じんうえもん)という小田原生まれで武家出身(一説には忍者出身だったとの説もあります)が幕府に「傾城街(遊廓)を運営したい」と願い出たことがスタートとなります。

東海道の宿場町で天下統一後の徳川家康を待ち受け、女性を使って接待して傾城街の認可を受けたとか逸話が幾つか残されていますが定かではありません。

遊廓や遊女屋では様々な情報が飛び交います。昔から情報収集には寝物語との例えもありますが、スパイ活動には遊廓の運営がもってこいだったかもしれないですね。

今も中国や北朝鮮ではその手口を盛んに使いますが、元は日本でも行っていました。

吉原はその後、江戸の街の治安維持や無宿者の管理に絶大な効果を持ちます。

忍者だったかどうかはわかりませんが、庄司甚右衛門(しょうじ・じんうえもん)はただの商人ではなく幕閣や江戸幕府の高官に何らかの強力なコネを持っていたことは間違いないでしょうね。

でなければ傾城街や遊女街、いわゆる売春に関する膨大な利権を一手に引き受けることはかなわなかったでしょう。まして吉原は江戸幕府が無くなった明治維新後まで続いたのです。途中で誰かに奪いといられたり潰されたりしなかったということは、よほど強い繋がりや利点がなければなりません。

賂(まいない、わいろ)なども役人に行っていた形跡はあります。

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