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学級崩壊について

2006/11/29改訂
1997/05/01初稿

過去の経験や実験の積み重ね

私は過去の知識や経験を書籍や記録から調べるために、図書館などによく行きます。

過去の歴史には、現在を予測する鍵が眠っているからです。過去を詳しく知ることは現在起っている問題の原因を知ることに繋がります。現在を知りたいからこそ、過去の事例が参考になります。

「催眠」もそうですが、心理学や科学、薬学などの基礎は実際には古いのです。最新の知識とか技術だと思われていることが2、30年も前の知識の焼き直しであったり、数十年前の研究の成果を今頃になって製品化したり、整備しただけだったりすることもあります。

国会図書館に行けば、揃わない本や知識はありません。

現在、売られているマニュアル本や解説書(と名前のついた物)などからより、よほど多くの物が学べますし書いてあります。本当の知識は現在からではなく、過去から学ぶほうが正しいのですよ。様々な思惑、立場や背景から歪められた事実とは違う内容が、そこには書かれていますから。

現在はネット検索もありますし、自宅にいながらにしてかなりの情報が集められるんですけどね。ただし、ネットの場合は後になってからソースの記事を意図的に削除したり歪めるケースもあります。ですから原本とか引用先、初版をみることが大切です。

直接、図書館に足を運んだり古本屋を順番に廻って古い書籍を求めることも確実で良い部分はあります。

以前にも紹介しましたが、朝日新聞の報道部という所が30年近く前(※この文章が最初に書かれたのは1997年、この本の初稿は1971年)に書いた本で「心のプリズム」という本があります。

当時の新聞記者の方が日本の未来について予測した本です。世界の科学者や心理学者、薬学の専門家などに話を伺い、当時起った出来事や日本の行く末や将来についての検証を加えてあります。機会があれば読んでみて下さい。

実は私が以前に行った紫外線を用いたサブリミナルメッセージについての実験も、ここの記述を読んで自分で行ってみた物です。(現在は削除済み。再実験を会員ページに再公開予定)

過去の知識や記述から面白そうなものを拾って、自分で確かめてから載せています。

記述を鵜呑みにすることはなく防音壁を作っての遮断実験や、サブリミナル効果についての実証も自分でやっています。

サブリミナルについての記述

サブリミナルに関する記述をホームページに載せた直後から「そんな筈ない!」とか「サブリミナルなどない!」などといってきた人は多いですけどね。

そういった人は過去の知識や経験、すなわち、現在の研究発表の基礎になった物をもう一度、よく調べることです。過去の記録の中には実験の成果が正確に綴ってあります。

テレビ局の関係者なら常識としてご存知でしょうが、局に持ち込まれるソース映像は必ず、「ある機械」で検査されます。サブリミナルに近い映像を持ち込んだ場合には許可されません。

アメリカでもチェックはされますが、日本でも年々厳しくなっています。

なーんの効果もないなら、規制は生じませんよ。映像とか編集に関する専門書も取り寄せてみるといいでしょう。最近はパソコンのスペックがあがって個人とか中小企業でも動画の編集を行えるようになりましたから、ガイドラインとか注意事項としても載っています。

昔の資料とか海外の書籍やアメリカの国会図書館などの原文を当たってみるのもいいでしょう。以前にそのような研究を行っていた人達は確かに存在するのです。

「心のプリズム」という本では、当時も現在と同じく「能力開発セミナー」などの名前でいかがわしい行為を行っていた輩がいたことを示す記述があります。

社員教育で女性社員が屋上で空手をやってる写真などは、当時の時代背景を語っていますね(笑)。重版の都度、中身はかなり変更されているようです。

日本の国会図書館に保存されているものは、私がみた初期の記事と同一です。私のホームページの読者(東京在住の方)から確認を戴きました。

脳内ホルモンの分泌にかかわる薬の開発に関係した人の恐怖や苦悩についても触れています。

当時の科学者は「核兵器と同じくらいに大変な物を開発してしまったのではないか?」と悩んだそうです。そういった基礎実験のデーターからバイアグラやプロザックなどの薬、抗うつ剤が作られているのですよ。

心理学、科学や基礎研究の発展

人間の感情を左右させる化学物質が戦争に利用されるのではないか?と当時恐れた人達もいた訳ですね。いかがわしい宗教団体が行っている洗脳まがいの方法についても、心配していた人達もいます。

当時の日本は高度経済成長のまっただ中で終身雇用制度が日本に定着しつつあった時代ですね。戦後の動乱期から立ち直り、徐々に国力を高めつつあったとはいえ、日本はまだ経済大国といえるような立場ではなくその基盤は脆弱なものでした。

1971年といえば、米ソが激しい宇宙開発競争をやってた時期にも当たります。冷戦構造の対立を招いていた時期で科学技術とか薬品技術の基礎開発に両者がシノギを削っていた時期でもありますね。ご多分に漏れず日本もその波についていこうと必死の頃です。

心理学の実験も多数行われています。今では禁止されたものも数多くあります。

倫理上、経験上、「危険」とされたものがあって禁止されてゆきます。「スタンフォード大学」「監獄実験」などで検索してみるといいでしょう。人間の精神とか反応を知るための基礎研究は、この頃がもっとも盛んです。

皮肉なことに米ソ(アメリカと旧ソヴィエト)の対立が、急速な科学技術の進歩に繋がっています。心理学の研究や脳内ホルモンについての研究が盛んだったのは、やはりお互いがプロパガンダに利用できないかと考えたり、戦争や兵器に利用できないかと考えたからでしょう。

その当時に書かれた本には興味深い内容が様々にあります。

当時行われた実験で「アイヒマン実験」(これについても各種の本が出ています)と呼ばれる物の検証なども実に興味深い内容です。

第二次世界大戦当時、強制収容所に何万人もユダヤ人を送り込んで死刑にしてしまった「アイヒマン」という人物が「私はただハンコをつき上役の命令に従っただけだ」と裁判で主張したために、多くの人達に衝撃を与えた事件です。

それを聞いて「それが本当かどうか?」「人間として、それが平気でできる物なのかどうか?」に疑問をもった心理学者が、同じような状況を擬似的に作り出し、何人の人が自分の良心に従って実験を中止するか?を調べようとした時期があるのです。

再実験、追実験も何度も行われており書籍も多岐に渡ります。

検証中にアイヒマンと同じように被験者を「殺してしまった」(現実には死んでいませんが)人の「言い訳」職種、年齢や性別などの分類は大変興味深いものです。

子供に対して行われた実験

そういった過去の実験の中で面白い、というか興味深い記述があります。5才から12、3才までの子供を集め、あるフィルム(映像)を見せます。

誰か(力の強い側)が、もう一方(力の弱い側)をいじめたり、虐待しているビデオやフィルムを子供達に見せるのです。

すると、その映像を見せられた子供達は、後で「映像で見せられた行動と」同じ状況をそっくりそのまま再現してしまいます。

身体の小さな子供達や、自分の意志に添わない相手を集団でいじめたり、力の強い方が虐待するような行動をとるのです。

その時、大人達(実験者)は、子供達に対し、グループ分けをして何種類かの方向づけを行います。様々な実験がありますが、このケースでは全部で三つに分けて方向づけを行います。

一つのグループには、「何やっているの?」と子供達に問い掛けた後、放置します。

次のグループには理由の正否を問わず「虐めた相手」側に「偉いわね」といってアメなどのご褒美を与えます。誰かをいじめている所は大人が目撃しているのですが、それについて一切口を挟まないようにします。

最後のグループには「どうしてそういう事をやっているの?」と理由を問うた後に「そんなことはやってはダメでしょう」と言い聞かせます。

その後、いじめた側、いじめられた側、両方の子供達から事情を聞き両者で話し合いを持つようにします。大人が一方的に命令してお終いにするのではなく、両者が一緒に仲良く遊べる所まで納得させ関係の改善を計ります。

「どこが間違っているのか?」を丁寧に話して説得し、お互いが話し合うように勧めるのです。

当然ですが、各グループには顕著な違いが出て来ます。

今はもう無理ですね(笑)

現在ではこういった実験は倫理上の問題で行うことが難しいでしょう。いくら実験とはいえ、子供達にわざわざ誤った感覚を植え付けることにもなりかねませんから。

将来に禍根(かこん)を残す可能性が残されるからです。

当時(今から何十年か前)の実験だからこそできたと思います。

正直に言えば「目茶苦茶だな」と驚くような実験もあります。監獄実験なんて典型ですよ。トラブルの詳細については未だに公開されていない所もあります。そこの部分を誇張してes 「エス」(2003年3月公開終了)というタイトルで後に映画化されています。

昔の書籍とか資料が面白いのは、それが現在では書けなかったり出来ない部分があるからです。

「行ってはならないこと」つまり、児童心理学や成長の過程で周囲から受ける精神的影響などは、こういった実験や追跡調査によって、少しずつ実証されてわかるようになってきたのです。

大人に「ほめてもらった」と勘違いしたグループや、そのまま大人が「何も言わずに」放置したグループは、いつまでもその行動パターン(いじめや虐待)を止めません。

何度も何度も執拗に繰り返すようになるのです。

子供達にとって、その行動が「いけない」とは思っていないからです。放置することは「認めてもらった」事と同じになるのですよ。当然の事ながら、お菓子などのご褒美をもらったグループほどそういった行動は顕著(けんちょ、いちじるしく)に現れます。

逆に理由を考えるように諭し説得を加えたグループの子供達の中には、時折リーダーが現れます。

「そんなことをやってはいけない」「止めようよ」といじめを行おうとするグループに立ち向かおうとする子供がグループ内部から現れることが報告されているのです。

これを聞いて、あなた達はどう考えますか?

行動の認識のパターン

この行動パターンは単に、「大人」つまり、「自分達よりも力の強い存在」がとった行動のパターンを子供達が再現しているに過ぎません。

いじめを止めようとしたり、やってはいけないと言い出す子供にしても意味が正確に理解できているのではないでしょう。一部は煽動者(方向づけを行った試験官)の模倣(ものまね)に過ぎません。それでも弱いものいじめとか、力の強い側が一方的に誰かを殴ったり虐待する行為には違和感を持ちます。

「いけないこと」を子供達が目撃した時に、その理由を教えて過ちは過ちとして正しいお手本を示せば、その行動は正しい方向を向きます。

その時、とても重要なのは子供達が「集団の中」にいる時にそれを指摘することです。

単独、つまり独りきりでいる時にそれを行っても効果は薄いでしょう。同じ目線、同じ年代、同じグループとか「内部にいる仲間」子供達が必要になるのです。

上からの目線、つまり大人とか方向性を与えようとする試験官とは立場が異なります。リーダーは「大人」が作るのではなく、仲間から生まれなくてはならない。

大人とか指導を与える側が「きっかけを作って」子供達から自発的に意見や意思が出るような方向づけを行わなければなりません。命令とは違うのです。

理由を教えず強引に従わせたり、大人が「何も言わない状態」ならば全てを認めてもらったことになり、弱いものいじめを繰り返したり「コイツにはやっていいんだ」といった錯覚を起こすことをこの実験は示しています。

この実験の結果は、現在の教育の現場の状況、日本で行われているテレビ番組やアニメ等と重ね合わせてみれば、非常に興味深い結果だと思います。

日本で以前、ヒットしたアニメで「ドラゴンボール」ってアニメがありましたが、アメリカではしばらく放送禁止になっていました。子供が殴り合いをやって血を流すシーンが多用してあるから、というのが停止の理由です。

※この文章が書かれたのは1997年当初です。その後、アメリカでも放送されて人気になりました。ただし一部修正(主人公のキャラクター設定の変更等)がなされてR指定が外されました。ドラゴン・ボールはその後、イタリアや中国でも放送され人気を得ました。

そのままの設定ではなかなか許可がおりなかったでそうですが、結局は一部ストーリーを変え、戦っているキャラクターが「成人男子」「高校生くらい」という設定にして放送開始に踏み切った模様です。

海外、特にアメリカやイギリス等ではそういったことにはナーバス(神経質)になっていますから制約も多い。子供向けのゲームなどでは、血が噴き出すシーンなどは利用できません。赤い血糊ではなくグリーンとかブルーになったり、映画やゲームソフトでも子供向けには利用できない映像や戦闘シーンもあります。


※規制の種類、参照例 レイティングシステム(別名R指定)

PG-12指定=12歳未満は保護者同伴が望ましい映像です。軽い性表現、差別的表現、宗教や思想的な表現が入っていたり、反社会的要素(麻薬)や惨殺シーン(ホラー含む)が入っている映像を指します。

R-15指定=15歳未満の観賞、入場を禁止。1998年に日本では以前のR-18から改訂して審査の対象となりました。主に残虐描写・暴力描写が激しいもの「いじめ描写」も審査の対象になっています。

R-18指定=18歳未満の観賞、入場を禁止。主に成人映画や性的描写、アダルト映像などによく指定があります。直接的に性行為を描くまたはそれを連想させるもの。観客の性衝動や興奮を喚起させることを目的に製作された映像を指定します。要するにH系ですね。


行われていることは実験室のよう

日本だけなんですよ。子供達に暴力的なシーンを見せても何も言われないのは。漫画とかアニメ、ゲームでも多い。ロリコン物とか残虐物も日本は緩いですね。近年(※2006年現在)になって徐々に規制を考える風潮になってきましたが......。

少年とか少女が刀を持って振り回すシーンも多いですね。

モビルスーツという概念やロボットに乗って「少年が戦う」アニメも日本発です。

最初は「遠方で」主人公の子供がロボットを操るだけだったのです。それならば子供には直接被害がない。鉄腕アトム以降ですかね?少年風のロボットが出て来てその後、ロボットとして大型化しました。

本体に乗り込むようになって、合体ものや変形ものが増えた。主人公がなぜか、少年とか少女で「選ばれた人間」「特殊能力を持つ者」として描かれるケースが増えました。

海外では二次元(絵とか漫画、アニメ)だから大目に見るということはなくて、いきなりR指定にされるものもありますよ。昔のアニメ、パラパラ漫画とかコマ送りで手書きのセル画(昔は全て人力で描きました)を一枚、一枚撮影してた時とは異なり、コンピュータ処理とかエフェクトを入れるようになったので、相当に複雑な映像でも描けるようになっています。

カット割りも構図も複雑ですし、反対に実写では描けないようなリアルな映像も作れます。

3D映像とかゲームにおいては実写以上に凄い戦闘シーンも描くことが可能です。現実との見分けというか、区別が徐々に難しくなってきています。

ロード・オブ・ザ・リングの戦闘シーンなんて凄まじいですよ。私は映画館に観に行きましたが、激しい戦闘シーンになると場内の観客が息を飲むのがはっきりとわかりました。実写以上に凄まじい戦闘シーンがリアルに作れる時代になったのです。

※ロード・オブ・ザ・リングも、アメリカではPG-13に指定されています。ヘルム峡谷の戦いをDVDで復活させた場合にはR(成人)指定を受けるだろうとピーター・ジャクソン(元々ホラー映画が得意)がインタビューで語っていますね。

そういったシーンを子供に見せることを規制するのが正しいかどうかは、今後の歴史が証明するでしょう。規制に熱心な国ととても緩い国がある。

過去に起こってきた出来事が現在に現れるように、推測や実験の結果と同じくほんの何十年後かに明確に形となって現れるからです。

今やってることそのものが、壮大な実験室のようですね。

日本で起っていること

私が「現在を知りたいなら」過去のデーターを洗うように指示する理由の一つですね。未来は過去の積み重ねの上で成り立っています。原因や要因があって結果が生まれるのです。

数十年前の基礎データとか文献を漁れば「現在」がみえます。過去から現在までを辿ることができたのなら、その先の「未来」も推理とか推測が可能になるかもしれないですね。

日本の教育現場においては「なぜ、そうしなければならないか?」を子供達に教えることをしません。「黙って従え!」「そうすればいいんだ」といった考え方が主流ですね。

理由は簡単で「時間がない」「教師が足りない」「効率が悪いから」。

例えばですが、そもそも歴史を教えるのは愚かな過ちを繰り返さないためでしょう。ですから、その時代に戦争が起きた凄惨な争いや虐殺、捏造とかデマがあったのならその理由とか背景を学ばないと意味がない。

ところが「ここは入試に出ないから端折りなさい」「別に勉強しなくていい」と教師には教わります。

「なぜですか?」と聞けば「必要ないから」とだけ答えるだけでしょう。

疑問を持つこと、関心を持つこと、知ろうとする欲求とか意欲が研究とか勉強の能力を高めるのですが、日本においては、テスト用紙に正解を書き込むことだけが重視されて過程や経過、背景を軽視しがちです。

単純なお話ですが、歴史でも政治でも経済や戦争でも同じです。背景を学んで「回避行動」をとらなければ、また「同じ弾」には当たりますよ(笑)。

同じ軌道上を同じ船で同じ速度で動いているようなものですから.......。

はっきりいってしまえば、過参考書やアンチョコ本、過去の出題集に書かれている解答だけ丸暗記するのは「人生においては」意味がない(笑)。それは過去の解答です。

社会情勢とか趨勢、変わってゆく時代の中では「過去の解答例」「過去の成功例」を用いるだけではうまく行かない場合が多いのです。ですから過去を勉強しながら、未来への舵取り、方向性を変える必要が出て来ます。

現実の社会においては、問題の解答とか正解よりもその「解答」がなぜ導き出されたかがポイントになります。次の問題も解かなくてはなりませんから。そのトレーニングのために子供達にこそ、考える時間ときっかけを与える必要があるのです。

「面倒だから」とか「時間が無いから」は、もっとも子供達に対してやっちゃダメなんですよ。子供の頃にしか感受性とか優しさとか思いやりは育ちませんので。

その頃に「周囲の大人たち」が時間を割く必要があるのであって、反対に言えば「幼児期から少年期にかけて」きっちり教育を受けて愛情をもらった子供には極端は歪みは生じません。親とか周囲に受け取れる最大のプレゼントなのです。

子供達にとって求められているのは、解答を「教えてくれる」(押し付ける)大人とか先生ではなく、一緒に悩んだり考えてくれる「仲間」であり、その仲間などと集ったり考える機会であり、共に悩んで考える時間、そのための「環境」なんですけどね.........。

効率とか試験への合格を考えるあまり、色々なことを省略し過ぎです。

間違えてもいいから「選ばせろ」

最近の若者に読解力とか思考能力がない、と言われるのは、そもそも「そういった機会」つまり、何かに対して真剣に考える時間とか集まりを若い頃からあまり与えられていないのです。

日本人総ロボット化計画のようですね(笑)。どこかの国の陰謀でしょうか?

ちなみにね、テレビや映画の原作が次々に「漫画」になってしまうのも、カット割りがあるから。映像の制作現場にいる若手に想像力がなくなって絵コンテを起こしたりカメラワークすら自分で決められなくなってる。

読解力がない。その場面とかシーンを「文章で読んで」推測する努力を惜しむようになっています。イマジネーションとか想像力とか発想力、表現力を失い、自分で工夫したり考えることをしなくなれば操り人形と同じですよ。

「失敗したくない、間違えたくない」だから最初から「解答を教えてもらおう!」「盗もう!」と考えれば思考能力を奪います。ご本人は努力しなくなりますから。

愚かしい大人が抜け道ばかり教えれば真っすぐには歩かなくなるでしょう。運動とか辛い経験はまったくしないままに「大人になるのがいいか?」と言えばそうではない。

楽して儲けたいから「何かのフランチャイズかシステムに乗っかろう!」受験のために「抜け道を」などと考えれば、その思惑を利用する側にはもってこいでしょう。お金儲けにはそういった「鴨(カモ)」が多いほうが楽しいに決まっています。

そういった安易な考えが会社や企業にも蔓延(まんえん)しています。学校や家庭においても何かのマニュアル、誰かの用意した道筋、「親の言うことには従えばいんだ」とか「先生の言う通りに勉強すればいい!」などが多くなっています。

でもね、最近の子供達は馬鹿ではないんですよ。

以前の子供達(私達の子供の頃)とは手にする情報の量が違っています。膨大な知識と経験をテレビやマスコミ、パソコンや書物「携帯電話」によって一瞬で得ます。

ある意味で昔は良かったのです。押し付ける大人は今も昔も多かったでしょう。そこの部分は今に始まった事ではない。ただし残念なことに今はネットも検索もある。便利になったり豊かになったことは喜ばしいことですが、反対に若い世代はパソコンを使えば図書館に行く必要や辞書をめくる手間すら要らない。

昔なら「それ」(大人が信じる価値観、例えば新聞記事やニュース報道)について疑う余裕すら無かったでしょう。確認する方法もなかった。ただがむしゃらに勉強して何かにしがみつくだけでよかった時代もあります。

今は無理なんですよ。終身雇用制度は崩れていますし、情報は調べられる。会社の言いなりになることでリストラされたり、贈収賄で逮捕される例もたくさん載っていますよ。誰かの命令に諾々と従うだけで、そこそこ幸せに暮らせた時代とは明らかに異なってきています。

私が「何かに迷ったら昔の書籍とか新聞記事の引用を読め」というのは、そこに未来予想図があるから。今と比較すればいい。

ただ漠然と「そのほうが幸せだから」とか、ただ黙って「従え!」と高圧的に迫った所でダメなんですよ。明確な同義付け、はっきりとした目標が必要です。ただ単に「いい大学にさえ行けば後の人生が安泰だ」などは誰も信じなくなりつつあります。

締め付ければそれですみますか?

理由も意味も教えてもらえず、漠然とした不安感を持ったまま猛然とと勉強に励む子供などいないのです。

一例をあげましょう。

電車に乗れば、酔い潰れている大人を大勢見ます。塾の帰りとか買い物の途中でも見るでしょう。

家に帰れば不況でリストラにあったお父さんや、仲の悪くなった両親を見ることがあります。それらは現実問題として、彼等に自らの将来の選択や不安感に対する答えを求めるようになるのです。

友人の家族や先に卒業した先輩の現在の状況を聞くこともあります。「お父さんが失業した」事が、他人事で「あいつらのようにはならない」「あいつらは落ちこぼれで社会の落伍者だ!」と笑い飛ばせる内はいいですが、いつ自分がそうなるとも限らない。

実際に自分が目にする風景に解答があったり、家族がそうなったり、社会に失業者とか行き場のない人の数が増えてくれば他人事にはならないのですよ。

子供達の周囲には膨大な量の情報が溢れ、その中から現実を感じ取ってしまうのです。

意図的に得るものも、無意識に拾ってしまう情報もあるでしょう。そうすれば不安感は増しますよ。何も考えずに妄信的に親にとか教師に従おうって気には絶対にならない。

誰かが一緒になって考えてくれたり、家族とか仲間とか同級生と話し合う機会があって、自分なりの解答を導き出さない限り目標を見失うでしょう。

あちこちで学級崩壊とかいじめが叫ばれています。

子供の頃から我慢とかなぜ暴れてはいけないか、集団生活の意味とか「いじめがなぜいけないか?」などの意味を教えてもらわなかった子供が、いきなり規律正しく暮らせる筈がないでしょう?子供の頃、親が家にいなかったり、兄弟や祖父、祖母のいないままに育った子供達も多いのですから。

親から叱られたり、理由を教えてもらわなかった子供が、大人(先生)のいいなりになる筈ありません。まして最近は人権問題がうるさくなったおかげで、大声で叱ったり叩く事も禁じられています。先生の優しい言葉で急に大人しくなりますか?

子供が暴れて授業にならないのなら、懲罰や監視体勢を強めれば何とかなる、と思い込んでいる父兄や教育関係者が多いようですが事はそう簡単ではありません。

事勿れ(ことなかれ)主義で、「卒業さえしてくれればそれでいい」とか「勉強さえすればいいんだ」といった感覚を子供の頃から押し付け、価値観や倫理観、「なぜ、それがいけないか?」を教える大人が減った結果、こういった問題は持ち上がってきたのですから。

いけない理由を教わってないのに、それに従う理由もない。実験結果と同じで「大人が見てみぬフリ」とか放置してきた結果、そうなっているんですから修正には多大な時間がかかります。

ホームページを持った初期の頃(1997年にホームページは公開開始、開業は1996年より)から、私は同じことしか言っていません。

「何が正しいか?」「何が間違っているか?」を絶対的な存在(先生や親、広い意味では大人)が「子供達に押し付ける」のではなく、「なぜ、それが間違っているのか?」を一緒に考える役割の大人がいるのですよ。それもできれば子供が小さい(まだ価値観の固まっていない)時期に。

子供は「正確な答え」を教えてくれる人を求めるのではなく、自分と「一緒に悩み考えてくれる人」を求めるのです。

現在の状況は起るべくして起った状況です。付け焼き刃で今さら急に監視体勢とか体罰を強化した所で、結局は陰湿ないじめや虐待、もっと巧妙に立ち回ろうとする子供達が増え、状況を更に悪化させるだけです。

自分達にできることを

子供達が選ぶ解答とか未来が、確かに「間違っている」かもしれない。

それでも自分で選ぶんです。選択はその人の意思で行われねばならない。誰かの操り人形とか何かの思惑のみで定められた「安定した未来」に魅力を感じる人は皆無です。難しい道とか歩きにくい道だからこそ、歩まなければならない時もある。正解を与え続けることが子供を育てる意味ではない。

話し合う機会とか考える時間を「子供達に与える」ことこそが、大人に科せられた義務です。

時間がないから「お金を渡しておこう」とすれば、当然、子供は「お金さえあれば何だって許されるんだ」といった感覚が生まれます。

それを後からどうやって否定するのですか?援助交際という言葉が生まれて久しいですが、トラブルは減っていますか?お金だけ与えて子供を振り返らない、時間を割かない親が増えることは結局、「お金のためになら何だってやっていいし、誰を犠牲にしてもいい」ことを大人が身をもって教えていることになります。

忙しいのはわかっています。生活が大変なのもわかります。ですが、今の日本において餓死するほど生活に困っている人は何人いますか? 

子供の幼い頃に時間を割かないことは将来に禍根(かこん、わざわいの種)を残すことになるのです。子供にとって親はその人しかいないですし、価値観とか精神的な豊かさはその時期にしか伸びないのですから..........。

極端に言えばね、多少、飢えたり不自由な思いをしても父親や母親にいて欲しいと思いますよ。父親や母親の愛情はどんなご馳走よりも勝るのです。

寂しいものは寂しいんですよ。聞いて欲しい時に聞いてもらえず、話を聞いたり時間を割く代わりに「お金さえ」与えておけばいい、ということを繰り返せば子供は親を必要とはしなくなります。

それが物欲からひったくりや売春、盗みを繰り返す子供が増えた理由でもあるでしょう。

豊かさの意味はどこに?

「お金だけを与え続けていると」金づるとか餌をくれる相手としては子供は親を認知します。ただし、それだけでしょう。

犬や猫、人が飼っているペットであっても「餌をくれる人」=「飼い主とかご主人様」にはなりません。散歩に連れていってくれたり、ブラッシングをしてくれたり愛情を持って話しかけてくれる人を友達とか家族とか自分の仲間、群れのリーダーとして認知します。

少し昔は貧乏で食べ物がなかったのかも知れませんが、自分が「ゲームを買いたいから」とか「あのバッグが欲しいから」といって、ひったくりをやったり、見ず知らずの男性に身体を売るような行為が横行したでしょうか?

数十年前、戦後の貧しい頃に米兵相手に身体を売る日本女性をみて「貧しいからいけないんだ」と涙を流した心理学者がいます。

その当時、日本が豊かになればこういった行為(売春等)は無くなる、と本心から思ったそうで心底、撲滅を願ったそうです。ですが、現実には無くなるどころか増えてしまっています。

私には豊かさを求める余り、日本が何かを置き忘れてしまったような感覚があります。

親や教師、広い意味では「大人」が、子供達と触れあう時間を持たず「考える」機会を与えることをしなかった結果が現状を招いています。

誰とも触れ合う機会を持たなかった子供が次の親になっています。おじいちゃんおばあちゃんと同居はしておらず、子供にどう接していいかもわからない。その親たちがPTAに参加して手探りで教育に関わる状況になっています。

先の実験の例を参考にしてもわかるでしょうが、大人がいない状況、何も指示しない状況で何かを見る状況が長く続いた場合、子供は自らの価値観で「これでいいんだ」と思い込んでしまいます。価値観が先に定まってしまうんですよ。

そういう状況で長く放置しておいて、子供が荒れ出した途端「親(先生なども含む)の言うことを聞きなさい!」と高圧的に迫ったり、殴りつけた所でそれは通らなくなります。監視体制や罰則を強化する以前に「親も含めた家族全体を」見直す時期にはいっています。

後になればなるほど、子供達の年齢が上昇すればするほど修正とか行動の抑制、感情の爆発は防ぎにくくなります。

できれば、もっと子供の話を聞いてあげて下さい。一方的に怒るとか叱るのではなく、少しでいいですから時間を割き子供と一緒に悩んであげて下さい。ただ遊ぶだけでも褒めるだけでもいいのです。

その一見すると「くだらない時間」こそが子供達にとって必要な時間なのです。

答えは結局、子供自身が見つけます。私達自身がそうであったように子供はそうやって大人になって行くのです。それでもその過程の中で、大人の手助けや環境整備、「誰かがいてくれること」がもっとも重要なポイントになるのです。

難しくとも子供と接する時間を多くする努力を。後になるほど、修正は難しくなります。

私には現在の教育の現場で起っている問題を聞くと、子供達の悲鳴が聞こえるように思います。

1997年05月初稿

1999年08月31日改訂

2006年11月29日加筆、修正

                谷口信行

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