多重人格に関する考察
2006/11/28改訂
1997/09/01初稿
多重人格について
※このコーナーの初稿が書かれたのは1997年になります。一部の記述はその頃のままです。1999年8月に一度改訂しています。2006年のホームページリニューアルにあわせて加筆修正しています。
今はもう、かなり前の話になりますが、あるテレビ番組で「多重人格について」の放送がありました。
多重人格に対する詳しい知識とか経験を持つ人を捜せなかったんでしょうかね?お話を伺った医者や施設の名前が全て匿名になっています。海外の施設や研究者は実名入りなのに、日本国内の症例は全て仮名で通しています。
私は番組を見ていて苦笑いしてしまいました(笑)。
相手方の施設や医院(きちんと取材を行ったと過程してですが)から放送の了承がとれなかったか、症例の話がきけず、仕方なくて適当な物をつなぎ合わせて「自分達で適当な内容を作ったのかな?」と思ったからです。普通は個人名は伏せますが、病院名まで伏せませんよ。
中でもおもしろかったのは、催眠をかけるのに医師が五円玉(ペンジュラム)を被験者の前でブラブラとぶら下げたりするシーンです。今どきそんなことしませんよ。どう考えてもおかしい(笑)。
知識が古く、番組を作った側が誤った先入観に基づいています。催眠に関して、ほんの少しでも知識のある医者や専門家が指導すれば、決してああいった形にはなりませんよ。
逆に同じテレビ番組でも「眠れる森」(中山美穂、木村拓哉主演 ※1998年12月24日放送終了でDVDが出ています)などのドラマの脚本はよく勉強されていましたね。ドラマのワンシーンでヒロインの女性に催眠をかけて過去を探り出そうとするシーンがあります。
アドバイザーが良いんでしょうか?催眠のシーンの描き方は見事でした。
催眠誘導についてもフラッシュライト法などを用い、効率良く催眠を深化させる方法を用いています。現時点での催眠法では最新に近い(※1998年 放送当時の話で今はかなり手順が異なっています)です。ですね。催眠の手法について興味がある人はそのドラマのビデオでも借りて下さい。
「あなたは、ねむ〜ぅくなります〜〜〜〜〜〜〜」といった語尾を延ばす誘導は主流ではないでしょう。
優秀なドラマにおいても催眠誘導を行う役者さんの言葉が、変に間延びしていたのには笑いましたが(笑)。いくら演技に優れた役者さんやよく調べた台本とはいえ、やはり一般の方の持つ催眠に対する印象はあんな物なんでしょう。
そのドラマとは違い「多重人格に対する番組」の中では、実際の多重人格の体験者つまり「催眠誘導を治療として行った経験がある人」なら、決して言わない筈の誤りとか勘違いが幾つもありました。
日本の医療のシステム
日本における医者とか医療システムは基本的には善意で出来上がっていると考えて良いでしょう。医者に患者が「頭が痛いんです」「首が痛いです」と訴えれば即検査になります。
今はCTスキャンやMRI(磁気共鳴装置)もあります。昔は神経系は難しいと言われたものです。レントゲンを撮っても神経系を写すことができなかったので、判断が難しい時期がありました。
「鞭打ち」(首のねん挫とか神経の損傷)外傷性頸部症候群などは、被害者の完全な自己申告だった時期があります。交通事故で保険金詐欺目当てで入院して障害を訴える人もいて、それを証明する方法がありませんでした。
保険会社にしても支払いを断る訳にはいかず、社会問題化した時期があります。
今ではCTやMRI(磁気共鳴断層装置)は大きな病院にはまず完備しているでしょう。高額な機器ですが個人病院でも設備投資して設置する例が増えています。
それは少しでも正確な診断を行いたいという期待と詐病とか保険金詐欺を防ぐ意味合い、保険診療制度における点数を国から受け取るという複数の理由を含みます。
MRI(磁気共鳴断層装置)は一台数億円ですよ。メンテナンス費用は別途でかかります。CTだと十数億という納入例もあります。高額な費用をかけるのは伊達や酔狂じゃないでしょう。日本は世界でもっとも導入が進んでいる国でしょうね。
一昔前のように「首が痛い!」といえば保険金が簡単におりてしまった時代とは違うのです。詐偽にも流行があります。最近ではいくら苦痛を訴えてもMRIやCTの映像を添付しないと保険がおりないケースが殆どでしょう。
※近年になって脳脊髄液減少症という考え方やブラッドパッチという新しい治療方法についても述べられるようになってきています。まだ治療法として完全に確立されていません。診断にはやはりMRI(と造影剤)を用います。
保険会社が支払いを渋るようになると詐病も減るという傾向があります。少なくとも重度の障害とか大きな疾病、事故で賠償を求める場合にはMRIやCTは必須になってきましたね。
日本の医療システムが「善意で出来上がっている」と書きましたが、基本的には自己申告です。
難しいのは、その「自己申告」なのです。つまり、患者が頭が痛いとか首が痛いと言う場合、万が一ということもあります。ですから必ず検査は行わないといけませんし、場合によっては入院もあり得るのです。
困るのは、残念なことに社会が善意で出来上がっていないことですね。保険会社がむち打ちに厳しくなったり支払いを拒否した背景に、闇社会(ヤクザ、示談屋)の保険金詐欺があります。病室にそういった連中がたむろするようになり、一般の被害者も同列にみられるようになったのです。
結局、迷惑を被るのは一般の被害者とか普通の人々なんです。
日本の医療現場においては患者が痛みを訴える場合に追い返す例は少ないでしょう。必ず検査はやります。最新鋭の機器とか大型の設備で検査を繰り返した後で「大事をとって入院」または「ご自宅で様子をみましょう」になると思います。
PTSDや精神的な障害
問題となるのはそういった「詐病」要するに偽の病気とか怪我とか障害を訴える人達にPTSDとか精神的な障害、後遺症を訴える人達が出て来たことですね。
これは今までにはなかったことです。
以前はむち打ち症のような「首の痛み」を訴えるものが多数ありました。レントゲンくらいしかその首の痛みの原因(損傷)を確認する方法が無かったですから。技術の進歩で神経系を映像で確認できるようになった(というかむち打ちで保険会社が支払いを渋るようになった)現在、その手は使えなくなりました。
すると「心的外傷後ストレス障害」(しんてきがいしょうごストレスしょうがい)略してPTSDを訴えるようになったり、精神的な疾病を訴えて相手から賠償金や保険金を得ようといったケースも増えてきたのです。
残念なことに、すでに多重人格を装って殺人罪を逃れようとした被告も出ています。
これは私の推測ですが、医療関係者の数人がそういった人達(精神的な疾病を装う)の自己申告にひっかかったのではないか?と思います。
上記した番組などはそういった人の症例を聞いて取材にいったものの、事実関係の確認がとれていないか病院側が報道を拒否したので、念のために全てを伏せたんだと思いますよ。
※余談ですが、PTSDという言葉が生まれたのはベトナム戦争以後(1970年代)です。心理学の実験とか研究が盛んだった頃ですね。戦争時に極度のストレスを感じ、極限状態に置かれた人が本国に帰国後、環境に馴染めずトラブルを頻発しました。
反社会的な行為(盗みや銃撃戦を行う)薬物に依存する、震えや恐れ、不眠が治らないといった症状が頻発し、現状を調査した結果、こういった症状があることがわかりました。
シルベスタ・スタローンの演じた「ランボー」もベトナム帰還兵が主人公です。ベトナム戦争は1960年 〜1975年で終結しましたが、捕虜となって帰還出来なかった人達もいますから、その後アメリカはしばらくベトナムの残影を引きずっています。
「ランボー」は1982年に公開されていますが、それはそれだけ帰還兵に苦しんだ人達が多く、社会問題として認知されたからでしょうね。
日本では阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件でPTSDは認知されました。
雲仙普賢岳とか三宅島の噴火、自然災害や人的テロ、レイプとか長期に渡る虐待などにおいても「ベトナム帰還兵」と同じような反応があることがわかりました。
「これは精神的な疾患、過去の出来事によるトラウマが、同じ症状を引き起こしているのではないか?」といった推測に辿り着くのです。
判断が難しいのは症例が少ないため
日本においてそういった症例についての経験を持つ人は皆無に等しいでしょう。PTSDにしても多重人格にしても症例数が少ないからです。海外での報告例も、日本でその症例をそのまま当て嵌めていいのか?という疑問も残ります。
例えばですが、銃火に晒されて自分が「死ぬかもしれない所」に長い時間勤務、進駐していた人は「アメリカ軍人」はいます。(米軍側戦死者6万人弱)
日本人にはそういった経験者は少ない。戦後60年以上が経過していますから。
一方、突然の大地震や噴火で家や屋敷を失い、家族を失った人は一般人です。症例とか実数としては多いでしょうが軍人ではない。幼い子供や老人もいます。年齢や性別や職種のことなる人達の症状が「まったく重なるか?」といわれれば微妙でしょう。
日本独自で判断を行うならば、国内での症例をたくさん知っている人が必要になります。
特に多重人格については、日本国内では有名な精神科の医師が自らの著作の中で真っ向から(多重人格そのものを)否定しているくらいです。下手をすれば多重人格以前に、治療法としての催眠そのものまで否定する人がいますよ。
医療保険制度には「催眠に関する点数計算」まであり、自分も医者になる過程で一度は必ず学んだ経験がおありだと思います。教本にも載っていますから。ですが、それについては忘れてしまっているか完全に無視する先生方もいます。
日本においてそういった症例について理解が進むのはもっと後になってからでしょう。
先に述べた詐病のような問題もあります。元々はPTSDという言葉も多重人格という症例も、精神的な疾患とか過去に虐待や犯罪被害を受けた方への救済のために生まれた言葉です。
必要として作られた言葉なのですが、腹立だしいことに、この言葉も裁判で自分達の罪を逃れたり、賠償金を吊り上げる道具のように扱う連中がいるのです。
一時社会問題化した「むち打ち症」と同じですね。
結果として本当にそういったことに悩む人が、PTSDや多重人格を訴えると「ああ、またか」といった扱いを受けることがあります。本当に悩みに苦しむ人が軽く扱われたり信用されないケースも出てくるのです。
それは非常に残念ですね。
いずれは何らかの方法が見つかるでしょう。不完全とはいえむち打ち症もある程度は解明が進んでいます。CTやMRIのように精神的な悩み事、多重人格やPTSDによる反応も、脳波や表情(眼球運動、表情筋の反応)などで判断できる方法がみつかるかもしれないですね。
MRIに特殊なソフト(とても高額だそうです)を導入すると、腕とか指の筋肉を「脳のどの部位」が動かしているかわかるんだそうです。そこが光りますから。
最新技術で脳がどの部位を動かしているかが判別できるようになったのですから、自己申告で精神的な疾病を決めるのも、いずれ終わりになるのかも知れないですね。
ご勘弁願います
一時期はウチにも変なメールが何通も舞い込んでいました。
自称、多重人格者が一時期異様に増えました。多重人格に関する詳しい記述とか見分け方や判断方法に関する記載をホームページ上から削除したのは、そういった背景もあります。
私はたぶん、相当詳しいと思います。担当したり付き合っていた女性(著書参照)が多重人格だったりという経験があって、深夜にトラウマを再現して呼吸が止まってしまい、何度も人工呼吸をやった経験もありますから。
テレビ番組の「報道後」に、そういった「自己申告」をする人が一気に増えるのがおかしい。そもそも多重人格に陥っている方は、ご本人には自覚症状が無い(または伏せる、隠す)のが普通ですから.......。自分から積極的に申し出るのは疑問が残ります。
これまで何事もなかった人達が、報道をきっかけに急に顕在化して一気に押し寄せてくるのでしょうか?そんな筈はないと思いますよ。
現代は心を病む人は多いです。先のむち打ち症でもそうですが、本当に症状があって苦しむ人もいます。ところが、実際には首が痛いとか自覚症状がないのに「私もその症状がある!」と言い張ったり、自分でそう思い込んでしまう人もいます。
困るのは、ネットで情報を漁って巧妙に立ち回ろうとする人もいるんです。私としては詳しく解説することで詐病とか、そう「偽る」側の力になろうとは思っておりません。
テレビ番組をみて興味を持った人がネットで検索してみれば、それについて述べたホームページ(ウチ)があったのでそこに「メールを送ってみた」「何か聞き出そうとした」が真相だと思います。それが急に多重人格者(?)からのメールが増えた理由です。
煩わしいのは、自分が有名になりたいとか周囲から注目を集めたいがためにホームページやブログでそう煽り、掲示板にわざわざそのアドレス(宣伝)を書き込むような行為もあります。
不思議な行為ですね。多重人格者とは自分の過去にある精神的なストレス、トラウマやプレッシャーから逃れるために別人格を作って対処しているのに、それをわざわざブログやホームページを作って公開したあげく、あちこちにリンク貼るらしいのです。
最初は「カタカナ」とかローマ字でメールを送り付け、その後でまた別人を装って同一アドレスとか同一IPで送り付けてくる例もありました。
んー、あまりに幼いというかスキルが低過ぎる。程度が低いので中学生か高校生のタレント志願の女の子、ただ目立ちたいだけの子供かと思って放置しましたが、そういった行為が何人もあればやはり嬉しくはないですね。
目立ちたいとか誰かに注目されたい、マスコミに取り上げられたいと思うのなら、もうちょっと違う方法を用いたほうがいいですね。
そのやり方ではご本人も周囲も含め、大勢が傷つく結果を招きますよ。
私は元々、医者じゃないですから(笑)
申し訳ないですが、医者とか医療関係者、研究者の中には「善い人」も多いですからね(笑)。
他人を疑う事をまったく知らない人もいます。詐病とか詐欺まがいの連中の言い分をストレートに信じてしまう人達もいます。なぜなら日本の医療システムは元々、相手を疑うようには出来ておらず「来院してくださる方は」全てお客様で保険医療点数が「貰える側」でもあるから。
先に「日本の医療システムは善意で出来上がってる」と書きましたが、日本では医療機関が門前払いすることはないでしょう。
救急搬送を断ることは時折ある。深夜であったり入院設備、緊急手術が不可能で受け入れた途端に責任問題とか訴訟にされるなら難しいケースから遠ざかろうとすることはあるでしょう。
ですが、順番を守って受付に並べば診療は受けられます。日本はまだ恵まれていますので、貧民層とかお金を持たないものは片っ端から追い返したり、詐病を最初から疑うようなシステムにはなっていません。
私が指導に行ったりお会いした人(お医者さんや学校の先生)の中にはやはり、人が良いというか誰も疑わない人がいます。詐病とか患者の「嘘」は最初から考えない、患者とは真剣に向き合っててその訴えを真摯に聞こうとする先生が大勢いました。
それは私からすれば嬉しいことで望ましい部分もあり、反対に「困ったな」とか説明に窮することもある。ウチのサイトと相互リンクにしていた病院に執拗に質問状を送ったり、催眠(術)で著名な大学に通りたいなどといってきた被験者(相談者)もある。
私は元々、医者ではないですから(笑)。
ここがミソです。私は元々、医療関係者ではない。セールスとか販売とか接客にも携わってきましたし実体験は多い。アルバイトも含めやった仕事は数多いでしょう。肉体労働から水商売販売員まで幅広いものをやった。マスコミに宣伝広告を打ったり、ミニコミ誌の編集までやったことがある。社会に溢れる悪意とかトラブルには熟知してる側ですし、苦い経験も多い。
その上で真面目ぶってこのホームページをやってるだけです(笑)。
苦い部分とか辛い部分、過去に知ったドロドロした部分とか他人を疑う部分を出来るだけ伏せるというか考えないようにして文章を綴り、何年も更新してきました。だから「たのしい催眠術講座」というタイトルであって「笑」(わらう)という強調文字しか使わないのです。
これはホームページ開設当初に自分で決めたルールです。
辛いことや苦しいことが社会にはたくさんある。だからこそ楽しいこととか面白い情報、ためになることがネットに転がっていてもいいじゃないか?と思った。だから悲惨な話は控えてできるだけ運営を行っていますが、だからといって「私の人が良い」のではない。
お医者さんはそれでいいと思っています。疑う医者よりも信じる医者が多いほうが社会のためではある。人が良いお医者さんが患者に騙されてあげることも社会貢献の一つでしょう。
それで救われる命も心もあるかもしれない。
多重人格には何種類もあります
ただし、それを利用して法外な賠償金を求めたり、殺人を逃れたり、まして有名になるための道具と受け取られることは困る。
私自身は医者じゃないですからそういった誤った考えの人達を牽制(けんせい、遠ざけて警戒する)したり警告したり、余計なトラブルとか詐病を防ぐことが、このホームページや私自身の勤めだと思っています。
一般の人が一部の報道番組や一般に売られている書籍をみて「多重人格とはそういうものだ」と思い込まないように、ここで私の過去の経験から多重人格として知っていることの一部を公開しておきます。
ある「多重人格に関する番組」では内側の人格全てに名前が付けてありました。
私は多重人格ではないか?と思われるケースをこれまでに複数経験していますが、その「中」にある人格に、全て名前が付いていた訳ではありません。むしろ無記名が多かった。
多重人格において登場する人格で多いのは「子供」であったり、「母親」であったり、「汚い女」であったりします。その殆どは自分自身の過去の投影で、昔の辛い体験を背負っていたり、何かから「自己を守る」ために、時折メインのパーソナリティと入れ変わるようになります。
そういった症状そのものは存在はします。が、私は「日本においては」名前まで明確に付けられているケースは少ないと思っています。
そこが、ダニエル・キイス著「24人のビリー・ミリガン」とは明確に異なる部分です。
私は欧米とは社会性や背景、個人の持つ感覚が違うからではないか?と思っています。
固有名詞や個人の名誉を重んじる国であるアメリカなどでは、内在する人格に具体的な固有名詞が備わっていることもわかるように思います。アメリカにおいては個人とか個性(パーソナリティ)についてはとても重んじますし、子供の頃からそう教えられて育ちます。
ですから、どんな人にでも肩書きだけではなく固有名詞をつける習慣があります。仲良くなればファーストネームで呼び合うようになりますし、政治的に利用する例まである。アメリカのブッシュが「小泉」とは呼ばずにジュインイチロウと呼ぶなどですね(笑)。(※2006年の記述です)
欧米人であれば自分の中に違う人が存在すれば「その人格には名前がなければならない」とご本人が思う可能性はあります。ですが反面、日本のように曖昧(あいまい)な表現、例えば「弁護士の先生」「代議士の先生」(本来は二重表記、しかも固有名詞ではなく立場とか肩書き)などを用いることが慣習化している点で欧米とは異なります。
固有名詞がなくても職種や肩書き、立場や役割で表現することに慣れている日本人にとって、海外での症例をそのまま当てはめるのには疑問があります。
「あたし」とか「あの女」とか具体名のない第一人称が増えると思いますよ。
(詐病等を避けるために詳細は避けますが)少なくとも私の担当したケースでは、「人格そのものに」ご本人とはまったく縁も所縁もないない名前が勝手につけられているケースはありませんでした。
それぞれの人格には明確な違いがあり、役割と分担を明確に決めて懸命に「自分を守ろう」とはしますが、名前までは付けていなかったのです。理由は簡単でそうしないと本人の生活に支障がでますから。
道を通っている人に、いきなり他の名前で呼ばれれば周囲に勘付かれます。自分を守るために内部を分裂させたのに、そういった瞬間が増えれば守るどころかトラブルは増します。
アメリカの研究資料などにおいても、多重人格について「それぞれに明確に名前がついている」報告例はそう多くありません。むしろ特異例です。
すでに世間に出回っている本(24人のビリー・ミリガンなど)を参考に、実体験のない人が話を「それらしく話を作ろう」と思えば全部に名前が付きますが、それは現実とは異なります。
はっきり言えば、あれは作家の書いた本。一般人にもわかりやすくするために、一部には誇張とか整理、わかりやすい「何か?」が必要となるのです。
別人になって「うろつく」のが多重人格ではない
元々、メインになっているパーソナリティを「守る」ために人格の分裂は起ります。嫌な出来事や「そのままでは耐えられない」ような「何か?」から守るために出現するケースが多いのです。
その「メイン」の人格が気が付くような行動(つまり別名のネーミングなど)サブ(追従する)側の人格が、メインの生活を犯してしまうような行動はなかなかとらないし、行わないのが普通です。周囲に知れることで自分の生活が危うくなるからです。
それらはよほど特殊なケースなんですよ。実際には、本人すら多重人格であることをまったく理解しない例は多いでしょう。
自分が「理解している」なら別人格ではない。他のパーソナリティから「情報がダダ漏れ」になりますから......。過去の嫌な体験(トラウマ)もそのまま受け取ってしまいます。
受け取りたくないから「人格を分ける」のです。
勘違いしている人は多いようですが、多重人格とは基本的に「自分」を守るための行動であり、ただ単に「別人になってうろつく」ことなどとはまったく違うのですよ。
それについて詳しく知らない、つまり「実体験がない」「何かを読んだり、聞き齧っただけの人」がそれらしく話を作れば「別人格に名前を付けて」勝手にうろつく話にすればいい、と錯覚すると思います。
前記した「24人のビリー・ミリガン」などの本の中でも、中身は決してそうは書いていなかった筈です。よく読めばわかる。だからこそ、周囲に訴えかけるだけのリアリティがあり多くに支持されたのです。
ある報道番組(※1999年当時、その後、このコーナーを立ち上げてから類似の報道は急速に減りました)ではそういった構成(多重人格とはただ、別人になってうろつく感覚)になっていましたね。残念ながらあれでは説得力に欠けるでしょう。
確かに過去に私が担当したケースでは、こちらが便宜上、整理のために(私だけが見るノートなどです、被験者には名前を告げたりはしません)名前や番号を振った事はありますが、中にある人格のそれぞれに具体的に名前が付いていることは極めて稀でした。
私が「名前を振らない」のは、私が催眠誘導中に「あなたは○○さんですか?」とか「○○さんですね?」と問いかけたり決めつけることで、結果として本当に名前がついてしまう例があるから。
誘導中には細心の注意が必要です。
誘導方法の失敗、偽の記憶症候群
私は海外で時々行われる「あなたは誰?」(Who are you?)から始まる誘導には疑問があります。
施術者が被験者に対し「名前」から先に聞く誘導では被験者の持つ先入観や価値観が働き、「他の何か?」(要するに名前)を意図的に生じさせてしまうことがあるからです。
催眠誘導において繰り返される過ち、「偽りの記憶症候群」と呼ばれる現象の多くは、施術者側が不勉強であったり、人間の心理反応について浅い感覚のために、施術者側が自分の感情や先入観、推測を押し付けてしまうことで起こってきます。
犯罪の操作とか、事故の現場の状況を再現しようとして「あなたはそこで絶対に何かを目撃した筈なんだ!」「さあ、話せ!」と言ってしまえば、偽の記憶が生じてしまいます。
UFOの目撃談などでもそうですが「見た筈だ」方式の誘導では無理です。
話させるべきなのは「時系列」です。その当時の現場の情景やその前後の流れとか登場人物の整理であり、「何かを見た筈だ!」との決めつけではない。
常識では理解できない「不可思議」なものを目撃する例はありますよ。催眠をやってればたまに出てくる。ですが施術者が「それは幽霊です!」とか「UFOですか?」などと言ってはならない。
やはり手順とかコツがあるのです。自然に思い出とか目撃を想起さえるためには、用いないといけないもの(用語、手順)と、用いてはいけないものがあると思いますよ。
催眠誘導は確かに犯罪捜査とか目撃証言を補強したり、過去にあった事件や事例を掘り起こすことに使えますが、「絶対にやってはならない」誘導もあります。
長い間、大勢に触っていると自然にわかってきます。
その方法が理解できるのは、私が全てをきちんと分類したからです。
事実と夢想の部分や偽の記憶症候群の奇想の部分を混同しない。明確な見分け方があります。事実関係を調べてから誘導に望み、歪みとか間違いが生じたなら修正してどのような「言葉」とか誘導方法が、そのような記憶の断片をひき出したか調べる必要があります。
催眠誘導をやって思ったような効果があがらないのは、催眠が悪いというよりは施術側の不勉強でしょう。心の反応とか引き出しの開け方を錯覚したり間違っているから。
「名前がついてる筈だ!」との先入観から「貴方は誰なの?」としつこく聞けば、その場で順番に名前がつきますよ(笑)。
そういった誘導を行う事は結局、その人(誘導を受けている相談者)を混乱させるだけで、良い結果とか後の人格の統合には邪魔となります。
演技とはあきらかに違う
「あなたは誰だ?」と問いつめ、その上で「違う名前がある筈なんだ!」といったニュアンスで問いつめれば、困った被験者が別人のフリをする反応が起こる可能性は否定できません。
余計に話がややこしくなるだけですよ。
私の場合、カウンセリングを行って事実関係を洗い、関係者(肉親や職場の仲間、恋人や奥さんなど)から丹念にお話を伺ってから誘導を行うのが通常です。
本当に「多重人格」であれば、ご本人に誘導を行う前にご本人の周辺に話を伺えばわかります。不自然な行動とか記憶の欠落、何らかの痕跡とか状況が必ず追跡できますから。
催眠誘導は「最後」です。
最近ではそういった内容の本(多重人格に関する小説など)を読んで、多重人格とはそういった物(ただ、別人になってうろつけばいい)だと思い込み、それらしい演技をする人も現れますが、それは現実とは違い過ぎます。
多重人格とは間抜けな独り芝居のような物ではないんですよ。実際に体験したことのある人間なら、それらを混同し、間違えることは決してありません。
私が多重人格を「ある」と知っているのは、私が実際にそれを体験しているからです。
(私の著書「催眠術師のひとりごと」でも書きましたが)私は自分のかつての恋人がそういった状況に陥ったことから、催眠に深入りしています。今のように多重人格の本が世間でヒットする前のお話です。
当時は地方都市に住んでいましたからね。相談する場所すらなかった。ネット検索もない頃です。目の前で「その人」の人格が入れ替わる様というのは強烈で見た者でなければ信用できないでしょう。私にしても体験者でないなら信用しなかったと思う。
眼球の運動とか表情筋の変化があって言葉遣いも態度も、何より「雰囲気」とか周囲に流れる空気がガラッと変わる。物を投げつけられたり、刃物を向けられたり、テーブルを引っ繰り返されたりもあった。
まあ、そのような事はご本人(その多重人格だった人)にも教えていませんが(笑)。証拠となるビデオ(当時はHi8でした)も残してあります。
その体験がある私が、若い女の子(メールで多重人格を訴える人の多くが女性でした)の演技と実物を見間違えることはまずないでしょう。
ご本人に自覚症状はまず無い
興味深いのは、過去に担当したケースにおいて「私は多重人格だ」と自ら訴える人にそういった症状を持っていた人はいません。演技であったり、一種のパラノイアであったり、本人がそう思い込んでいるだけの場合が多いのです。
医療関係者が「多重人格などない!」と言い切ってしまうケースは、こういった「自分から」多重人格を自己申告する患者に接する機会が多いからかも知れないですね。
多重人格が発覚する場合、だいたいは周囲がその人の異常な反応や行動に気がついて連絡があります。殆どのケースにおいて、ご本人の申告ではあり得ないのです。
ましてネット上で「複数の人格が」私に次々と順番に「メールを」送ってくるなどあり得ないですよ(笑)。
なぜなら、相談者本人(メインのパーソナリティ)にとって「別人になっていること」は決してわかってはならないことだからです。
乖離(かいり、乖離性同一性障害)とは「自分と精神的に切り離すこと」を差します。自分に起こった衝撃的な出来事を「自分とは関係ないこと」だった、「他の誰かの出来事だった」と思い込んで自分を「守ろう」とする反応なのです。
下手をすれば死にますよ。精神的な「死」とか肉体的、社会的な「死」を迎えかねない衝撃だったからこそ、自分を切り離してでも守ろうとする反応が出るのです。
ですから、ご本人にしても(その別人格にすれば)徹底的に隠さなければならない出来事になるからです。
ご本人にすれば「別人格ごと」捨ててしまいたいのです。思い出したくも無いし考えたくも無い。でも、それを背負い込んでしまって捨て去る事が出来ないから別の人格に「背負ってもらう」ことで逃れ、時折その人格が「何かの衝撃で」暴れ出すことでバランスをとっている例が多い。
次々と現れるのは、ただただ泣き続け、誰かに保護や庇護(ひご)を求める子供であったり、逆に「弱い自分」を守ろうと懸命になっている大人(庇護者、母親役などが典型)であったり、名前こそないけれど、過去の嫌な体験やショックを身替わりになって背負おうとする人格です。
自分の命やメインのパーソナリティ(個性、人格)を守るために必死で戦おう、忘れてしまおう、独自の考えで動こうとする人格が複数存在することが多いのです。
機会があれば次の本で書きます
「それらについては、ホームページではなく商業ベースで出される本で書くようにします」と書いて数年が経ちました(笑)。実はまだ書いていません。
筆力は初期の頃よりはあがったでしょう。書くスピード(実際にはキーボードを打つスピード)も飛躍的に上昇しました。今なら書けるのかもしれない。
躊躇したのは先のマスコミのような反応です。
この人達は、犯人探しをやりかねない。
犯罪の被害者とか精神的な疾病を抱える人達に「罪」などない。たいていはレイプとか幼児虐待とか過去の悲惨な体験によって症状は発動しています。それを表ざたにすることはご本人にとって苦痛を伴います。
だからこそ、私の元にせっせと「多重人格者ご本人が」メールを送ってきたりマスコミに自ら連絡をとったり、ブログやホームページで公開するのはおかしいと思っています。
隠したいからこそ多重人格が生じるのです。ですが視聴率とかセンセーショナルな出来事を求める側(マスコミ)にとって、そんなことはお構いなしでしょう。面白い出来事とか不思議な感覚、視聴者が引きつけられることであれば何だって飛びつくかもしれないですね。
すると、どんなことをかき立てられるかわかりません。
私としては、一時は好きだった人です。
その人が苦しむのも忍びないですし、多重人格について異様に盛り上がっている最中に下手なことをすれば話題として大きくなってしまう可能性もある。ですから公開とか発表の時期は延ばすこととなりました。
先に述べた「カタカナと平仮名、別人格からの異なる手紙」を送り付けたのも、実際にはマスコミじゃないか?と疑っています。
そういった本を出した所で当たらなきゃどうって事はないんですけどね。当たった(売れた)場合も考える必要があります。
警戒するのにも理由はあって、実は以前「鏡の中の私」といったタイトルで、ほんの一部の内容をニフティサーブ(1995年当時のパソコン通信。ホームページやインターネットが発達する前の形態です)の掲示板に載せたことがあります。
もう、何年も前の話ですが、もしかすれば覚えている人もいらっしゃるかもしれないですね。
(※この文章を載せたのは開業当時1997年です。その後から出た同名の書籍があるそうですが、私とはまったくの無関係です)
その直後から反響は凄く、私は掲載を止めてしまいました。中傷も多かったですし、興味本位な書き込みや、「私も催眠術をやってる。私はあなたより有名な先生だ」などという愚かな人が現れるのをみて、同じような人間だと思われたくなかったからです。
一部の友人や知人、家族には体験した出来事を多少は話したことがあります。
当時のニフティの掲載を見た人や、私から直接話を聞いた人達には、私の体験した事(これから書く内容)が、一時のブームにのせられたフィクションなどでないとわかると思います。
今までその全て(当時の経験)を誰かに話したことはありません。体験そのものが恐かったし、誰かに理解してもらえるとは思わなかったので。また、当時はまだ時間が経過しておらず、自分の気持ちの整理もできていなかったから。
色々な相談にのったり様々な経験を繰り返すうちに情報量も増えました。やっと自分の気持ちの整理がつきましたので、これからじっくり書いてみようと思います。
ネットの難しさ
体調不良その他があって、しばらくまったく動いてなかったですからね。
(※2006年05月現在)
特に精神的なテンションが下がってしまって一切の活動は控えていました。やはり父親を失ったのが痛かったです。死に目にあえなかった事、その時に自分の仕事(というか他人の仕事)にかまけてて家族への対応が遅れた事が私にとっては痛恨事となりました。
何の事情も知らない男(一応名前を伏せます)が「君は未来を向いていない。過去などにこだわらず将来について考えろ」などとメールで送り付けてきて笑いました。
この人は「作家」です。以前、私とお付き合いのあった女性の関係者。
自分は筆を折っているのに、赤の他人の心配や批判ですか?バレないつもりでそういった行為を行うことそのものが、その「男」の限界でしょう。表面だけしか知らない者が、年上ぶって匿名で諭す行為は男としてもっとも恥ずかしい行為です。
私は何があっても実名を貫いてきました。散々に嫌なことがあってもホームページは閉めなかった。その私に「あんたが匿名で説教を垂れるな」。
これが本音です。
嫌なら見に来なければいいんですよ。私はこのホームページの公開を有料で行っているのではない。本を買ってくれた読者から感想が届くのならまだわかるが、会った事もない相手から「生き方」とか歩き方まで指示される筋合いは無いですよ(笑)。
体調不良や家族の不幸、手術とか仕事でトラブルがあったのは巡り合わせ。家族や親族にも色々あった。不特定多数がいつでも見に来れるホームページに「全ての事情」を正確にかける筈もない。歯を食いしばって耐えていた時期もある。
私のことを批判できるのは、その間に私に直接あってた人や支えてくれた家族だけです。
「物」を書くのは難しいですね。特にネットにおいては難しい。過去にトラブルになった相手から一方的な悪意を投げつけられたり、盗用や流用を繰り返す連中と向き合うのは骨が折れる。肉親を失ったり、様々に嫌な事があった後だと尚更難しいです。
相手は幾らでも身勝手なことをやってきますが、受け答えをする側は一人ですから..........。匿名でとか偽名でというものもある。その時期に嫌がらせで送られたメールをみればきっとビックリすると思いますよ。全部、保存してあります。
様々な経験を通してこれまでは知りえなかった知識とか体験も増えました。過去の私とは違う話もこれからは書けると思います。
ホームページ上では口語体で相手に話しかけるような口調で綴ってきました。それとは違うスタイルでも自分で書きたい事があります。このスタイルだからやれたこともあり、このスタイルではできない事や限界もあります。
ネットでしかできない表現もある。ですから私は匿名の掲示板やブログも否定しません。社会に必要なものです。悪意や中傷も含めて、それが社会そのものですから(笑)。
ただし匿名ではなく自分の名前を堂々と名乗り、商業ベースだからできることもあると思いますよ。両者は切り離すものではなく、これからの時代の両輪です。
催眠「術」のみの話とかオカルト話はもういい
記憶には断片があります。
島記憶ともいいますが、多重人格でなくとも状況や時間の経過によって記憶が明確になったり、ぼんやりしてしまうことがあります。
記憶の断片は、整理されている場合もあれば整理されていない場合もあります。私の体験談は催眠を用いてその「断片化」した記憶の中から原因を探り、過去にあった出来事と向い合おうとする話です。
なぜか、「男」の顔だとかカメラだとか「病院」「鏡」「時計」だかが断片として彷徨い(さまよい)出てくることがある。一見、何の意味も無さそうにみえる記憶の断片(かけら、破片)にそれぞれの意味があり、謎解きをするヒントとなるのです。
これは難しいパズルです。ジグソーパズルのピース。小さな記憶の欠片で脈絡もなく出てくる。なのにそのそれぞれが重なり合っているものでもあり、形が違うものでもあり、色も雰囲気も異なる。なのに組み上げると一枚の風景になります。
私は実体験を「そっくりそのまま」書き上げるつもりはありません。
環境には配慮します。犯人探しとかモデル探しも困りますし(笑)。またどうせ書くなら誇張とか大げさな脚色ではなく、これまでの経験で知った他の体験も交えて、新しい一冊として仕上げてみたいですね。
記憶の断片の中を彷徨い(さまよい)ながら懸命に答えを探すうちに、被験者本人が忘れてしまっている記憶の中に、彼女を縛り付ける「何か?」が存在することに気がつき、実際の生活の中からそれを拾い出そうとする話です。
おどろおどろしい「催眠術」の話は考えていません。
二人の感情や戸惑い「どうすれば彼女を楽にできるんだろう?」と迷い悩んだ記憶を中心に、推理、推測、事実と「どう向き合うか?」を描いたお話になります。
原稿が完成し、どこかから出せることになればホームページに載せます。もし出せないとか既存のマスコミに不満な場合にはブログ(2006年12月に開始)にでも載せるかな〔笑)。
ネットで進んできた私がネットで勝負をかけるのは自然なことかもしれないですね。
1997年09月01日初稿
1999年08月31日改訂
2006年11月28日加筆、修正
谷口信行



