前世は本当にあるのか?
2006/01/28改訂
2004/04/08初稿
聖書に書かれている一節
新訳聖書ヨハネによる福音書9章、2節にこういった記述があります。
「先生。彼が盲人に生まれついたのは、だれが罪を犯したのでしょうか? この人ですか? その両親ですか?」
これは今から2000年も前の話になります。イエス・キリストが各地をまわっていた際に出会った、生まれつきの盲人を見てイエスの弟子が質問した話です。
その真偽、考え方や質問が正しい誤っているは別として興味深いのは、2000年も前からすでに「前世があった」とする考え方があり、その人の前世に何らかの出来事や事件があって、それが現世において、何らかのハンデを背負って生まれてきたのではないか? と考える人達がいた証明となる文章です。
業(ごう、といった表現も用いられますが、何らかの業を「過去世(前世)に背負っているからこういった状況に本人が陥っているのではないか? と考える人々がいたことになりますね。
前世について書き始める前にこういった話を例にとるのは、皆さんにはそういった考え方が何千年も昔からあちこちで論議されてきたことだ、という認識を持って欲しいからです。
※後半でこの挿話に対する私の考えも述べます。
前世(催眠)についての考え方
私の元にも時折「前世催眠をやってください」といった依頼が舞い込みます。またそういった療法を売り物にしている施設、団体もあるようです。「谷口さんの所ではやらないのですか?」といった問い合わせも受けます。
私の所では一切やっていません。その理由、私の考えについてもこのコーナーの最後に述べます。実体験としてそれに近いものも紹介しますが、私の思いは別にあります。
研究者によって前世催眠や療法については様々な考え方があります。
少々難しいのはそこに輪廻(りんね)とか、カルマ(業)とか、リインカーネイション(生まれ変わり)などの複雑な概念(がいねん)を含むため、哲学や思想、宗教観やそれぞれの考える生と死なども関わってしまいます。
すると冷静にというか、施術者の主観を挟まずにそれらに関わることがとても難しくなってしまいます。
前世催眠を最初から真っ向に「まがい物だ!!」と決めつけてしまう研究者、施術者もいますし反対に「(前世催眠こそが)問題の解決のためのもっともな近道だ!!」と熱烈に訴える人もいます。
中にはかなりヒステリックな方や、妙に熱心な信奉者(どちらの方向にも)もいますが、私はそういった物の真偽をとやかくいう前に、もっと考えなければならないことがあるのではないか? と思っています。
日本において若い世代には「前世はある!」(あって欲しいと願う?)人も多いようで、私の元に寄せられるメールの中には、「私には何らかの前世があり、それを知りさえすれば自分の現在抱える問題があっさり解決するのではないか?」といった期待を抱く人も数多くいます。
過去にあった事例
1970年代、アメリカでベストセラーになった本があります。
残念なことに現在は絶版になっています。私は昔の古い本や特殊な書籍ばかりから知識を漁る癖がありますから、現在その本が興味を持つ皆さんに手に入るかどうかはわかりません。
ここで紹介すると長くなりますから、かいつまんで一部分だけ書きます。
ある女性に深層催眠をかけてどんどん退行を行ってゆくと、結果として前世が現れるようになり、現在(その当時)被験者が住んでいたのとは違う地域で違う世代(1798年)にアイルランドに別の名前で生まれ、生活していたと証言し始める話です。
原題は忘れましたが、「ブラッディ・マーフィーを探して」(もしくは、マーフィではなく、メアリ)という邦題がついていたと思います。興味がある人は探してみてください。
最近になって、ブライアン・L・ワイスという方が書いた「前世療法」という本が日本でも翻訳されて話題になり、かなりの册数が読まれたようです。
そのどちらにも共通するのは「前世」が存在すると仮定して、催眠誘導中に現れた本人の過去の記憶、すなわち前世を検証(ブラッディ・マーフィにおいては実際に現場を追跡)しようとする話です。
リインカーネーション「生まれ変わり」?
ブライアン・L・ワイスという方の書いた「前世療法」という本の中では、生まれ変わりについてかなり突っ込んだ解釈が載せられています。
これまでにあった本のように「前世がある」「催眠をかければ出てくるんだ」といった漠然とした感覚ではなく、輪廻(りんね)とか転生、要するに「生まれ変わりは本当にあるんだ」といった思想、概念が色濃く感じられますね。
仏教やチベット宗教などにおいては、昔からそういった感覚教えが残されています。
近年になって(アメリカ、ヨーロッパ、日本を問わず)世紀末の世相や社会情勢を反映してでしょうか?若い世代を中心にそういった感覚や思考は受け入れられ、多くの支持を集めているようです。
興味深いのはこれまで、欧米における一神教(キリスト教)主義においてはあまり触れたり重要視しようとしなかった部分も一緒に引き継いでしまっています。
輪廻(りんね、生まれ変わり)とインドやチベット密教などでの考え方に近い「カルマ」つまり、宿縁や宿業生まれる前から本人が背負っている何か?といった考え方や、マスター(守護者)や指導霊(人間より上位に属する何らかの存在)に導かれる、といった記述が多くみられることですね。
一部は徹底的に否定されました
実は「ブラッディ・マーフィーを探して」という本で書かれた内容については、その後、研究者から徹底的に否定されたのです。
物語の主人公になった女性が、3、4才の頃に実際にアイルランドに住んでいたことが分ったからです。子供の頃からアイルランド地方の方言や言語に慣れ親しんだに経験があってその地域の知識や言語を無意識下に貯えており、誘導者が過った誘導方法や方向性を用いたため、それらをつなぎ合わせてもっともらしい話に作り直された、と考えられたためです。
退行催眠における前世の出現を「まがい物だ!!」と決めてしまう研究者の多くは、そういった事例(ブラッディ・マーフィーを探して、など)を参考に出して来る人が多いですね。
特に日本においては、昔(1970年より前)から催眠を勉強された研究者にはそういった意見が支配的ですね。「そんなものは絶対にない!!」「ああいったおかしな誘導を行う者がいるから我々が迷惑するのだ!!」との意見も根強いです。
確かに催眠の持つ側面の一部には、そういった問題を抱えています。
催眠においては偽の記憶症候群という、少々やっかいな問題を抱えており、その現象が実際に起きたものなのか、催眠誘導者の誘導方法や指示によって生じる何かの誤りであるのかが判断し難くわかりにくいのです。
ダニエルキース著の「24人のビリーミリガン」などの多重人格の問題なども、それこそ初期の頃は徹底的に否定する研究者(現在のアメリカにおいては、肯定的な意見が多くなっているようですが)が多かったのは、専門であればそれら「偽りの記憶」についての詳しい知識があるため、安易に「被験者がそういっているから、きっとそうに違いない!!」とは決められなかったからでしょう。
私の実体験
私は正直いいますと前世催眠についてはかなり懐疑的です。ただ、だからといってそれらを簡単には否定できない実体験を幾つか持っています。
長くこういった特殊な仕事や技術に携わり多くの経験を積めば、様々なケースにぶち当たります。その中には自分で否定したい、と思ってもどうしても否定できない内容なども出てくることがあるのです。
一例を紹介しましょう。
私が大阪で診療所を開設した当初(1996年、現在の事務所とは所在地が異なります)私の元にある男性が訪れたことがあります。
その男性はある企業の跡取りになります。かなりの地位と学歴、肩書きをすでに持っており、事業や収入においては他人の羨むだけの成功を納めていると考えていいでしょう。
彼は自分の立場をよく理解し、努力と研鑽(けんさん、自らの力で自分を磨くこと)を欠かさない人でした。
こういった仕事をやっていればわかることですが、精神的な悩み事=貧乏とは限らない。金銭的に満たされていても苦しんでる人はたくさんいますよ。第三者からみて羨むような成功や地位、財産を得ていても悩む人はいる。誰しもが自分の心の中に闇は抱えているものですし、苦しみや悩みは抱えているものです。
そのバランスをとるために人は様々な努力を重ねます。
(後で詳しく触れますが)仕事上のトラブルや問題、地位や財産、何かの成功を望んでいたのではなく、彼自身のプライベートな問題で自分が悩んだり、苦しんだりしている部分があって、そのために私に相談にみえたのです。
普通ではあり得ない反応
当時の私は開業して間もない頃で、施設の運営費や家賃の支払いなどを抱えていて生活がとても苦しかった頃ですね。苦肉の策として私は、宣伝も兼ねてあちこちのお店に招かれてショー催眠を行っていました(笑)。決して自らが望んだ訳ではないのですが、背に腹は代えられなかったので。
その頃の経験が現在の番組出演などに活かされているようです。おかしな巡り合わせというか皮肉にも感じますね。そのお店の一つにお客として通っていたその男性が、私のことを気に入り診療所に相談にみえた訳ですね。
彼に催眠誘導を行い始めると私が何の指示も暗示を与えていないのに、あまりにも早くトランスに陥りました。
正直うろたえました。当時、私の持っている知識と経験ではそこまで早くトランス(この場合においては深い催眠状態)に至る筈ではなく驚いたのです。
急速に「落っこちる」といった表現が適当でしょうか?深い催眠にはかかっているのに、瞼(まぶた)の下での眼球の運動が非常に活発でかなりの速度で左右に動き続けています。
被験者がこういった状態に陥るケースでは、被験者が意識下で何らかの強烈な夢や幻覚、イメージ映像を見ていることを指します。過去に大きな事故や病気で死にかけたり、麻薬中毒患者や薬物中毒になった人にも似た傾向が出ます。当時、そこまでの知識のなかった私ですがそれでも様子がおかしいことだけは理解できました。
過去に多重人格(私の著書などを参照)などの難しいケースを担当したことのある私は異常反応の恐さはよく知っています。今回の被験者の反応は普通ではなくかなり奥深い物です。以前に体験した異常心理反応に近く、何らかの重大なトラブルに発展するケースもあります。
少なくとも施術者側が何の聞き取り調査も心の準備も用意もなく、単純にそのまま深化を続けていいようなケースには受け取れませんでした。
そこで私は彼にリラクゼーション用の暗示だけを与え「すっきりと気持ちよく目を醒まします」とだけいって、すぐに催眠を解きました。他には何の指示も誘導も行っていません。心の中にある出来事や被験者が「見た内容」を聞くことも、その場では一切行わなかったのです。
すると彼は(かかった時と同じように)あっさりと目を醒まし、何事もなかったかのように「あー、すっきりした!! 気持ちよかった。感謝します」とだけいって、私の元を立ち去りったのです。
急に現れた「前世」!?
その後、話は意外な展開をみせます。
それは彼がその日、家に帰ってから起こったそうです。
家柄の古い旧家の跡取りですから、家はかなり立派な建物です。昔風の土蔵などがそのまま残っており、ご両親もかなり厳格で格式のある家と考えていいでしょう。
家で家族と食事をした後、彼は急に自分の意識を失い「私は第何代当主の◯◯である!! お前達に言いたいことがある!」と言い始めたそうなのです。
家族は最初、彼が何を言い出したのかわからなかったようです。彼は急にスックと立ち上がり、いつもとは違った口調で何かを熱く語り始めた模様です。
彼はこれまでにそういった振舞いに及んだことはありませんし、おかしな内容を口走ったこともありません。それらは家族や友人の証言ではっきりしています。
被験者の年令は当時で32,3才だったと思います。少しずつ地盤を固め、いずれは会社の跡継ぎか代議士にでもなるべき男です。父親や先祖からの遺産であるとか、名前、格式を受け継ぐ時期にもあったのでしょう。
そういった奇異な行動とか言動とはほど遠い部分があった。
彼があまりに明確に多くの人物名を口走り、(過去にあったらしい?)事件についてのあらましを詳細に語り始めたので、皆は半信半疑ながらその内容を書き留めたそうです。
語られた話の要約
彼が語った話を要約するとこうなります。
彼は前世でその家の第○代の当主でその地域の領主で結婚して館を構えて住んでいました。その館に住んでいる時に、好きになった男性に裏切られる形で恋愛が終わってしまい、それを怨んだ彼はその恋人を刀で斬殺してしまったそうです。
断わっておきますが依頼主は男性ですよ。
男性ですがその前世(?)で本当に好きだったのは男性で、その男性が自分(当主)を裏切ったのでお手討ちにした、というのが語られた内容の大筋です。
時代背景から考えて時期的には江戸の初期から中期の頃でしょうか?衆道とも言いましたが日本においては当時、男性が男性を好きになることは過ちだとは考えられてはおらず、戦国時代などには侍の作法、儀礼として奨励する人々も多くいたそうです。
今では考えられないことでしょうが。織田信長などは近習に伽(とぎ)を申し付けた、などという記述が数多く残されています。これは戦国の習いで女性は戦場に連れてゆけませんし裏切りや内通を恐れたのでしょう。江戸期に入って徳川の世になっても三代将軍家光などは男性にしか興味がなく、世継ぎが生まれるのが遅くなったと言われています。
元々ね、彼(現世の相談主ですよ)の相談も好きになった男性(恋人)が自分を裏切ったり、嘘をついたりするのを見ると相手を殺そうと考えるくらい腹が立ってしまう。そのうち、「自分が本当にそういった行動(要するに殺人ですね)を行うのではないか?」と考えて相談にみえたのがきっかけだったのです。
一致してしまう証言と証拠
まさかというのが、当時関わった全員の印象です。当初は誰も信用してはいませんでした。
それをすぐ素直に信じるならおかしいでしょう。急に様子がおかしくなった彼に「いったい何があったんだろう?」と皆でうろたえただけです。彼が男性が好きだったり付き合っているということもご家族は知りませんでした。いきなりのカミングアウトだったんですよ。驚くなというほうが無理です。
もちろん、その点(私への相談の内容)はご家族にも黙っておきました。
やはり病院に連れてゆこうとも考えたそうです。
その話を家族から打ち明けられた時、私は催眠が悪かったんだろうか?とも考えました。まだ開業して間がなかった頃ですから。
ところが、彼の語った言葉の中には妙な符合がありました。
「このことは倉の中にある家系図と書き付けに記してある」と告げて、彼(前世の彼です)は消えたのです。
まあ、消えたというのは語弊があって幽霊ではないですから姿が消えたのではありません。元の彼に戻ったので、まるで憑き物が落ちたかのような印象をご家族が受けただけです。
半信半疑ながら家族が倉の中をひっくり返して探すと確かに、古びた米びつ(?)の中から虫食いだらけの古い書き付けと家系図が見つかりました。
読めませんよそんなもの(笑)。古い文章で文体ですし、筆で草書(崩した書体)で書いてありますから、現代人に読める筈もありません。知識人で聡明であられたその家のお祖母さん(当時、お祖父さんはすでにお亡くなりになられていました)でも、読むことができなかったのです。
仕方なく出入りの業者(書画や骨董の鑑定を行う専門家)を呼び寄せて、書かれてある内容を読んでもらうことになったそうです。
そんなこともあるのか?
私は残念ながら、現実主義者です。
私自身、数多くの神秘体験や不思議な霊体験をしています(笑)。ウチは巫女さんの家系です。その系統を色濃く引いたのか、死ぬ人は事前にわかります。母親も同じです。テレビ番組をみていて亡くなる方を当てたのも、仕事や事業で失敗したり失脚する政治家を当てたのも一度や二度ではありません。たぶんそっちで身を立てたほうが儲かるでしょう(笑)。
(社会一般における)常識では説明がつかないような出来事や事件に遭遇してますし、催眠などという、一般の人には馴染みが薄くて「嘘だ!!」「インチキだ!!」などと言われがちな内容や技術に関わっていながら、それでもそれらを簡単には受け入れることができません。むしろ否定的です。
何を見ようが当てようが、信じられないものは信じられませんし恐いものは恐いからです。それが普通でしょう。私も普通の人ですよ。
ただね、あまりにもはっきりとした証拠が見つかってしまうと、否定できなくなってしまいます。彼の証言に誤りはなく、書き付けと家系図には彼の言った通りの内容が書かれていたのです。
当主の名前もお手討ちになった男性(部下)の名前も、自分の妻、子供の名前、父母の名前、年代も誤りはありません。これには関わった全員、背筋がゾーッとしました。
今を遡る(さかのぼる)こと何百年前、第何代当主の名前、なんて誰も知ってる筈がありませんよ。家族や親族は皆、そんな書き付けや家系図が残されていることすら知らなかったのですから。
まして現代では読むこともできないような文字です。専門家でもない限り読むことができないでしょう。ですから、子供の頃に倉に入り込んで本人がそれを読んだ、とか、誰かにそれを聞かされて育ったなどはあり得ないのです。つまり前出の「ブラッディ・マーフィーを探して」などのケースとは明らかに異なってくると思われます。
信じたくはないのですけど..........
私がこれまで、自らのホームページにこういった話を載せなかったのは、(催眠や私のホームページを)オカルトと一緒にされるのを嫌ったからです。
実は、ネタはたくさんあるんですけどね(笑)。掲示板などに書き込むと喜ばれます。なにしろ実体験ですから......。匿名でなら書き込みすることがあります。
よくいるんですよ。オカルトと超能力、心理学と占い、本来、催眠とは違う筈のものを、全て一緒くたにしてしまう人が...........。中には気功なんてのもあります(笑)。私からすればそれぞれは独立した物で、知識や技術の一部が重なることがあったとしても、まったく同じ扱いにしてはいけないと思うのですが.........?
私は実体験として確かにそういった経験は複数あるのですが、それらをどんなに懸命に綴った所でこのホームページや催眠がオカルトと一緒にされたり、何かの勘違いや誤解を受けるのではたまりません。それでこれまでは一切、載せないでやってきました。
こういった事例に当たると前世なんて信じたくはないのですが、信じざるを得ない部分が確かにありますね。
私だけが見たとか聞いただけなら「間違いないんだ!!」とは言えません。複数の人がその状況に関わりはっきりと証言できる人がいたり、証言を補強する証拠でもない限り信じられないのが当たり前です。
その状況(いわゆるトランス状態)に陥ったご本人は自分が語った内容をまったく覚えてはいませんでした。家族だけがその状態を目撃し書き留めました。本人はまったく覚えていないのに、書き付けや家系図については正確に言い当てたのです。不思議に思いませんか?
彼はすでに地位と財産、肩書きを手に入れていました。家柄も良く通常であれば、私のような人間が出会ったり触れあうことなどない人だと思われます。ですから、そのような内容を私に偽る必要はないと思うのですが.......?
私は今だに信じられないというか、なぜ、ああいったことが起きたのだろうと不思議に思っています。
前世について触れる理由
実は私は前世(または退行催眠、前世まで遡れるという主張)について、まったく重要視していません。ですから自分の所では行っていないのです。また、今後も積極的に行うつもりがありません。
確かに実体験は幾つかありますがそれらは多くの症例、長く施術を行っていれば起こってくる担当ケースの一つ、様々に生じる現象の一つとして捉えています。
ブライアン・L・ワイスという方が書いた「前世療法」を読み、そうに違いないと考えたり、そういった内容の信奉者からすれば、「あなたは実体験や霊体験が数多くあるのに、そんな考え方をするのはおかしい!!」と言って来られるかも知れませんが、私には私の考え方があります。
これまでまったくそういったものに触れなかったのに、ここでわざわざオカルトなどと一緒にされたり、誤解を生む可能性や危険がありながら前世療法などに触れるのは、練習会に訪れる人の中にもそういった物に急速に傾倒する人がいるからです。
占いや宗教的な概念、カルトのような集団生活を押し付ける輩もいる。
正直に言いますが、私はそのような人を好みません。
理由は後で詳しく述べますが、前世に傾倒し現実の問題の解決を全てそちらに押し付けることは、結果として新たな差別やトラブルの種になります。また自分の持つ精神的、肉体的な障害やトラブルと懸命に向き合う人を馬鹿にしかねない部分があるからです。
聖書に書かれている返答
「先生。彼が盲人に生まれついたのは、だれが罪を犯したのでしょうか? この人ですか? その両親ですか?」
先に述べたイエスの弟子の行った質問について、意味をもう少しわかりやすく補足して説明しておきますが、生まれつき目が見えない人がどこかで「罪」を犯す筈がありません。
生まれたばかりの赤ん坊が、それも生まれつき目の不自由な人がいきなりどこかで何の罪を犯しますか?生まれたことが罪なのですか?赤ん坊が何らかの行動や罪を犯し、犯罪などを行う筈がないのです。それはどんな人にでもわかることですからそう言っているのではないと思われます。
この質問は現世、つまり今の「赤ん坊」の状態ではなく、前の世代、つまり「前世」があってそこで誰か(ご本人、ご家族)が罪を引き起こしたのでその人が何かを障害を背負ったのではないか?と考えている人がいたことを指し示しています。
私にはその考え方が受け入れられません。なんという驕った考え方だろうと思います。現世において障害を背負わなかった人達は前世で善行を行い、障害がある人や障害のある人達のご家族、面倒をみる人達は罪を犯した悪人扱いなのですか?
誰かが前世で何かの罪を犯し、それを現世において償っている、何らかのハンデを背負って生まれてきたのは「この人達の前世の行いではないか?」と問い掛ける弟子に対し、イエスはこう答えています。
「この人ではなく、この人の両親でもありません。神の御業がこの人に現れるためです」(ヨハネによる福音書9章3節)
※聖書に対する詳細な解説は省きます。興味がある人はご自分で聖書をひも解いて下さい。
私がここでこの挿話、聖書の一節を引用するのはその真偽ではなく、何千年も昔から人間に「前世はある」と考えた人達がおり、その人達が肉体的なハンデや精神的なトラブルを負っている人を「この人達は前世で悪い行いを行ったから、罪を背負ったのではないか?」と考えていたことを皆さんに知ってもらいたいからです。
前世が重要なんでしょうか?
人間全てにそういった前世があり、前世で罪を犯したから現世が苦しいのだ、といった考え方は非常に危険で息苦しい物に感じます。
考えてみてください。あなたのご家族、友達に何かの罪がありますか?生まれてくる赤ん坊に罪があるのですか?障害を持つことは全て悪で「その人(達の前世)が悪い!」と健常者(この表現も好きではないですが)は罵るのでしょうか?
そういった考え方で相手を括る(くくる)ことは、何らかの肉体的なハンデや、難病に苦しむ人達を「お前達が罪深いからそういった状況に陥ったのだ」と決めつける行為にも等しいからです。
百歩譲ってそれが実際に正しいとしましょう。前世がありその前世で何らかの過ちや間違いがあったために現世でハンデを背負ったとします。それを現在、懸命に自分の障害や病気、ハンデと向き合って生きている人達に告げるのでしょうか?
「お前の前世での行いが悪いから、お前はそうなったんだ」と?
それではご本人も家族もいたたまれません。生きる気力すら失います。
それを平気で相手に告げられる人は前世がどうこうなどと論じる以前に、人間としてもっとも重要な優しさや思いやりを失っており、非常にごう慢な人だと感じます。
私は不思議に感じます。
前世、前世と言ってくる人は最近多いようですが、前世がそんなに大切なのでしょうか?それならば人はなぜ前世の記憶を失って生まれるのでしょう?そんなに大切な物であるならわざわざ失う必要などないでしょうに?
色々な説を唱えてきて私を説得しようとする人も現れるかも知れませんが、私は認めません。もし世の中に前世という物があったとしても、もう一度人として生まれ変わることを許され、過去の記憶を失って新たな生を受けるとしたら、それは前世などにこだわらず「今を精一杯生きなさい」という神からのメッセージではないでしょうか?
そういった考え(前世があって罰が当たったなどと唱える連中、前世さえ知れば現在のトラブルが解消すると煽る連中)にお聞きします。
あなたがたの信じる神は試練ばかり与えるのですか?罰ばかり当てて「我を拝め!」「拝まなければ障害を持った子供が生まれるぞ!」「生まれ変わったら障害者になるんだ!」と脅すのでしょうか?
私は無神論者でどういった宗教にも関与しませんが、もし神と呼ばれる存在があるならそんなに浅い存在であってはならない。それだけは間違いないと思う。全てを忘れて白紙のままで現世に生まれるのなら「そこからがんばれ!」と言っているようにも思うのです。
人は無力なままで生まれます
もし神がいるとしても人の運命が最初から決っており、その決まりきった筋書きの通りに歩かせるために存在しているとは決して思いたくありません。神という存在があるならそんなに狭い心で人間を玩んで(もてあそんで)いるのではないように感じます。
私からするとそのような感覚、脅しや契約、見返りで人間を縛って操るならば、それは古(いにしえ)から言われる悪魔の姿に重なるような気がします。
生まれ変わりが在る、無いは別として、人は赤ん坊の頃何の記憶も力もないままに生まれます。真っ白な状態で生まれ、誰かの介助を受けないとどこにも行くことができず、何もすることができないのです。他の動物とは違い、外敵から身を守る術も立つことすらままならない。必ず庇護者を必要とします。
どこかに放置されれば簡単に死ぬでしょう。誰かの愛情とか何かの保護を受けないと決して成長することができない。それが人間です。
そこから成長を遂げることは、何より素晴らしいことで難しいことだとも思います。
クヨクヨと前世にこだわるよりも現世に生を受け、誰かの愛情や保護をもらって、大きく育つことのほうがよほど意味があることではないでしょうか?
私達が今ここで生まれ、様々な悩み事を抱えながらもこうやって生活していることは、私達が思うよりももっと素晴らしいことで素晴らしいことなのかも知れません。
生活をがんばっている皆さんへ
現在、仕事や恋愛、子育てや介護、学校に通ったり、自分の生活や家族を支え懸命に生きている皆さんへ。
がんばって下さい。
社会には様々な思惑と出来事があり、良い事ばかりとは言えません。嫌な事もありますし、悪意にぶつかる事も多々もあります。
苦痛もあるでしょう。悲しい場合もあります。
でも、負けないで下さい。
人は皆、真っ白な存在として生まれます。一人では何もできないのです。立つ事もできず、這う事もできない赤ん坊が多くの人々に支えられながら成長し、前に進むのですから。
苦しんでいることが恥ではない。悩んでいる事、迷っていることが恥なのでもない。自分で考え、選び、それでも前に歩もうとする意思こそが人々を育てるのです。
誰かに頼り他人を当てにして前世にばかり縋っていたら何も切り開けません。正解を「教えてくれる」「過去(前世)に問題がある」としてしまって、失敗をしない人達よりも、躓きながらも精一杯、歩き続けようとする人のほうが遥かに素晴らしく、立派な人達なのです。
私はそのような人達がとても好きです。
前世はあるのか? 無いのか?
前世は「在る」のかも知れません。あるいは「無い」のかも知れません。様々な経験と知識を通し、私にも見える事や感じる事はあります。
私も時折、前世は「在る」ように感じます。不思議な出会いや偶然とは思えない出来事もあり、今が全てかどうかは正直、わからない。
でも、だからといってその前世にこだわるよりも、現世において「私にできることはないのか?」を真剣に考え、前に進みたいと思います。
前世にこだわる人の多くは、現世における自分のトラブルや悩みと向き合うことを嫌がり、自分の弱さを認めず努力することを厭う人達です。そちらから目を瞑り(つむり)たいがために、そういった方向に煽る人達の所に逃げ込む人もいます。
都合よく操られますよ。そういった煽りを行う者の多くが自分でも「それ」を信じていません。いわゆる教祖ぶってる連中の日々の行いをみればわかります。他者(相談にくる者や悩む者)には高圧的で我慢や浄財を求めますが、自分は贅沢をして欲望にまみれるものが殆どです。イエス・キリストのように荒野でボロを纏う者はいないでしょう。
全てが前世のせいになってしまえば人は何の努力もしないでしょう。全ては事前に決められてしまっており、現世における努力は必要ないのでしょうか?
催眠をかけ、前世がどういった物であったのか知るだけで全てのトラブルがあっさり解消するとはどうしても私には思えません。まして、生まれつき重度の障害や、身体的なハンデを背負っている人に催眠をかけ、それで彼等が救われるとでもいうのでしょうか?
イエスの言葉の意味
イエスの弟子が考えたように、前世で本人やその家族が罪を犯したから、「あなたは足が動かない」「目が見えないんだ」だから「(現世において)罪を償え」「我慢しろ!!」「仕方ないんだ」と皆さんは迫るのでしょうか?
それでは何の救いにもなりません。相手を余計に苦しめることにしかならないでしょう。催眠とか前世療法が新たな差別の引き金にもなります。
そんなことになるくらいなら、前世(前世催眠も含む)など最初からないほうがマシですよ。
イエスキリストがその言葉の中で、「この人ではなく、この人の両親でもありません。神の御業がこの人に現れるためです」と言ったのはなぜなんでしょう?
それはもしかしたらこういった意味なのかも知れません。
前世も家族も関係ないと.........。だから、現世において「懸命に生きなさい」と........。だから「この人の罪ではない」と言い切ったのではないでしょうか?
私からするとそう解釈したほうがしっくりきますし、好きですね。
(新訳聖書における)彼(イエス・キリスト)の言葉の中には弱い立場の者や何らかの障害やトラブルを抱える人間に対する深い愛情が感じられます。ですから、相手を見下したり、悪く考えての言葉ではないように感じます。
これは、聖書を読んだ上での私なりの解釈です。
他人に押し付けたり皆が同じに受け取る必要はないと思いますが、そう考えれば少しは嬉しいですし救われるような気もします。
全てはケースbyケースです
私は催眠において、これが絶対、などという方法はないように思っています。
様々な症例やケースがあるのだと思います。それは簡単に括ってしまえる物ではなく、その時々によって違うように思えます。
私が体験したような不思議なケースもありますし、「ブラッディ・マーフィーを探して」または「前世催眠」のようなケースもあるのかも知れません。
間違えないで欲しいのは、その一部を読んだり知識として得た途端に「そうに違いないんだ!!」と思い込んで安易にそれを実践しようとしたり、そちらにばかり傾倒しないで欲しいのです。
残念ながら世の中には悪意も数多く存在します。誤った方法や間違った感覚を持つ人に誘導を行われると将来を失いかねません。相談にのってやると持ちかけながら実際にはトラブルの種を持ち込む者、自らの欲を満たすためにのみ熱心な者もいます。
偽りの記憶症候群のコーナーでも触れていますが、誤った先入観から誘導を行われれば、それはまた違ったトラブルの火種ともなるのです。
自らの生活や行動を振り返る事を忘れ、全てを前世とか誰かの責任にしてしまうなら、それは何の解決にもなりません。そのうちそこを誰かにそこを付け込まれたり利用され、状況は更に悪化してしまうでしょう。
ストレートに言っておきますが、私は前世催眠を売り物にしたり被験者を募集するような連中を認めていません。今現在やご家族を考えず、過去にばかり目を向けて何の意味があるのですか?
本当かどうかわからない前世、つまり知ることのできない他人や「過去世」なるものに責任をなすりつけることがどれくらい怖いことかわかりますか?確認する方法もないんですよ。写真やビデオが撮れる訳でもない。
その行為が障害や悩みに苦しむ人をどれくらい傷つけるかが理解できませんか?そのようなことに傾倒したり煽る者は現在の努力を怠る者、今を懸命に生きる人達を馬鹿にする人達です。
広い範囲で学び、考えて下さい
大切なのは他者に対する思いやりです。
施術者側、つまり「催眠を行う側」がどう考えどう思っているかも大切かもしれませんが、むしろそれ以上に大事なのは相談者(被験者)側の思いです。
どういったことで悩み、どういった方向性を望んでいるかを知り、相手の意向や感覚を捉えること、それを補助する事がカウンセリングや催眠においては大切だと思います。
場合によっては私の担当したケースのように前世の記憶らしき物がよみがえる可能性はあります。ですが、それは可能性の一つで全てがそうとは限らないのです。
催眠を学ぼうと考える人は、安易に何かの方法や手法に傾倒してしまって片寄った知識や感覚を手に入れるのではなく、広い範囲で知識や経験を得て下さい。
反対に施術を受けようと考える人は、「一瞬で悩み事が解決する!」「私が解答を教えてやる!」などといった宣伝文句で煽るおかしな占い師や詐欺師を信用するのではなく、共に手を携えて悩み事を真剣に考えてくれる人達を大切になさってください。
それは親族でも家族でも恋人でも友人でもいいんです。著名や有名な占い師でもカウンセラーでも「前世を覗ける人」でもない。あなた自身を見つめ、あなた自身を必要としてあなたを思う方があなたのもっとも近い理解者です。大切なのは肩書きでも技術でもない。その人の「思い」なのです。
前世や催眠を変に崇めて自分が現在抱える問題やトラブルから逃避するのではなく、自らと向き合い、問題を解消するためにそれぞれにあった技術や手法、施設や方法を選んで下さい。医療施設や公共の施設でカウンセリングや投薬を受けるのもまた一つの方法です。
前世が「あるかどうか?」などは大切ではなく、悩みや苦しみを持つ人が、少しでも楽になれるかどうか?一人でも多くの人が自分に合った方法を見つけられるかどうかが本来の目的となります。
催眠などの技術、心理学の応用、宗教の概念、様々な人々の指針が、誤った感覚で利用されるのではなく多くの人の力として利用されることを願っています。
2004年04月08日初稿
2006年01月25日修正、加筆 改定
谷口信行



